2020年10月10日

さらに、「牛乳はモー毒」なのか? 出典を巡って

先に、http://koko.axis.blue/article/46437595.html (「牛乳はモー毒」なのか? 出典を巡って)という記事を書きました。
この中で、「牛乳はモー毒」と主張する人々の多くが、以下のような主張をしていますということを書きました。
それは、
---------------------------------------
・厚生労働省も牛乳の過剰摂取と心の偏りの密接な関係に
 気がついたのか2002年(平成14年)度からは公立保育
 園の牛乳給食料を2001年(平成13年)度まで1日平均
 200mlから80mlに減量しました。なぜ減量したかは一切
 不問にしています。
----------------------------------------
で、厚生労働省のどのような通達(等)で、それが伝えられているかという意味ので出典が全く示されていないというお話です。
今回、あらためて探してみましたが、やはり、出典を見つけることができませんでした。
が、検索している中で、
尼崎市の公立保育園、令和2年10月の給食の献立
https://www.city.amagasaki.hyogo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/003/132/202010kondate.pdf
午前のおやつで、牛乳100g(概ね100cc)
午後は、牛乳200g(概ね200cc)
という記載もあります。
高槻市の保育所(ただし、平成28年)
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/59/kondate28-8.pdf
10時と3時の牛乳は、
10時‥‥0〜2歳児 100ml
3時‥‥3〜5歳児 170ml・0〜2歳児 100mlです。
という記事を見つけることができました。
これからすると、「80mlに減量した」というのが、信じがたい気がしますが、「厚生労働省が2002年から、公立保育園の牛乳給食料を1日平均200mlから80mlに減量しました」という主張の出典は、何だろうなと言うのが、相変わらず謎の状態でした。
posted by 麻野なぎ at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2020年09月25日

クリエイティブ・コモンズにおける、「改変禁止」を考える

この記事のきっかけは、
https://creativecommons.jp/2020/06/22/%E5%AD%A6%E8%A1%93%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9%E3%82%92%E3%80%8C%E6%94%B9%E5%A4%89%E7%A6%81%E6%AD%A2%E3%80%8D%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%A7%E5%85%B1%E6%9C%89%E3%81%99%E3%82%8B/
(学術出版物を「改変禁止」ライセンスで共有することが不適切である理由)

を読んだことでした。
もともと、Web のほう、http://axis.blue/ では、一部の作品(創作)を、クリエイティブ・コモンズで公開していました。
で、最近、クリエイティブ・コモンズに再び興味が湧いてきましたので、このブログの冒頭にも、クリエイティブ・コモンズに関する記述を追加してみました。

実は、このブログは、最初(期間にして、約1日)は、CC BY-ND (表示 - 改変禁止)で公開しました。
が、上記のブログに触れ、ちょっと考えて、CC BY-SA (表示 - 継承)に変更したのでした(改変はOK)

Web のほうは、創作中心に、CC BY-SA(表示 - 継承)で公開していました。
これも、結構考えたのですが、
・もともと、「創作」なので、それ自体が事実を伝える意図を持ったものではない
・意に添わない「改変」であっても、オリジナルの表示は指定しているので、作者の意図はわかってもらえる
ということで、「改変OK」である、CC BY-SA で公開しました。

が、ブログでは、ある程度以上の「主張」を盛り込んでいるものですから、まず考えたのが、「この主張を曲げて伝えられるのは困る」ということでした。
ゆえに、ブログのほうは、CC BY-ND(表示 - 改変禁止)での公開を考えました。

そこでであったのが、冒頭のブログだったわけです。

------ 引用開始 -------
改変禁止ライセンス(CC BY-ND と CC BY-NC-ND)は作品を複製し、広めることを許可するが、いかなる方法でも、改良、リミックス、改変、翻訳、アップデートすることで派生物となるものを作成することを禁止する。簡単に言うと、人々はオリジナルから「派生した作品」や翻案を作成することができない。
------ 引用終了 -------

まず、「翻訳」が「改変」に含まれることは驚きだった。「改変」のイメージとして、主張する内容が変質することばかりを意識していましたが、同じ主張を違う形で伝えることも、「改変」なのだと気づかされた次第です。
そして、

------ 引用開始 -------
再利用者は、もととなる作品に加えられた変更を示し、もとの作品へのリンクを提供しなければならない。変更された資料を利用しようとする人は、これにより何が変更されたかを確認できるようになる。そして、その利用者がどの部分が元の作者によるもので、どの部分がもとの作品の作者ではなくそれを改変した利用者によるものなのかの判断が可能となる。
------ 引用終了 -------

という記述に至って、「意図を変えるような改変が行われたとしても、その内容は、明示される」ということに気づいたのでした。

ここに至って、ブログの記事であっても(私のブログにおいては) CC BY-SA での公開が適していると判断したわけです。

さて、つらつら書いてきましたが、「そんなにあれこれ考えたところで、このブログの記事が再利用されることなどあるのか?」という疑問があるかと思います。
まあ、その疑問は尤もというところかと思います。
が、このブログの記事が再利用されることがなかったとしても、クリエイティブ・コモンズの表示を行い、意思表示をすることは、大きな流れの中の小さなひとつの流れとして、それなりの意味はあるのだろうと思っています。
posted by 麻野なぎ at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権の周辺

レビューするなら、せめて取説を読みましょう(とあるタイマのレビューを巡って)

先頃、amazon で、2時間(以上)が測れるタイマを購入しました。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01DA2GXO6/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o01_s00?ie=UTF8&psc=1

ちょっとちゃちいかも? という印象はなくもないですが、使いやすいタイマです。
が、このタイマに関するレビューの内容として、よく書かれているのが、

・取説が英語で読めない
・キーを押し続けても、数字が自動的に増加「しない」
・一度設定した時間を覚えてないので、毎回競ってしなければならない

という点でした。
が、実はこれ、いずれも、誤ったレビューです。

・取説は最近よく見かける多言語対応のものです。
 箱から出した状態では、確かに英語の面が見えますが、中には日本語のページもあります。

・キーは3秒間押し続けると、それ以降数字が自動的に増加します。
(取説に記述あり)

・一度設定した時間(厳密には、スタートキーを押したときの時間)は、記憶しています。
 タイムアップして、0:00:00 の表示になった後、Clear キーを押すと、記憶した内容がまた表示されます。
(取説に記述あり)

いずれも、取説を読めば(見れば)わかる内容ではありますが、取説も見ないで、「この機能がない」と決めつけ、あまつさえ、レビューとして公にするというのは、やはり、問題かなと思うわけです。
しかも、大袈裟に言えば、商品の機能をおとしめているとも言えます。

ということで、ちょっと残念な思いをしたということで、書いてみました。
posted by 麻野なぎ at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2019年02月03日

父の思い出 ―― まぁるいお月様雲の中

昨年9月に他界した父は、子供の頃こんな歌(?)を作っていたらしい。

まぁるいお月様雲の中
鎌倉八幡鳩ぽっぽ
ぽーんと鳴るのは花火かえ?(はなびだろうか?)
煙突掃除は真っ黒け
景色を眺める遠めがね
飛んだり跳ねたり雀の子
コケコと鶏鳴いている
留守家(るすえ)のじいさん、禿げ頭

それぞれの行でしりとりになっていて、最後の行が、また先頭の行につながる。
私自身子供の頃によく聞いて、未だに覚えている。
(私は、伝承しなかった)

ふと思い出し、覚えている間に、記録しておくことにした。

posted by 麻野なぎ at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

誰のために化粧をするのか 〜『たどりつくまで』の思い

まず、自分自身の立場をいえば、私は「化粧は社会人女性のマナー(常識)」とは思っていない。
少なくとも必須ではないものと捉えている。
一方で、自分の意志で化粧をすることを否定することもないかとは思っている。
さて……。

2018年、資生堂CM騒動など、女性が「男性目線の社会で生きているという現状」が意識された年だった。
その中で、女性が化粧をするのは、男性の視線を意識するからだ――という、ありそうな考え方を否定した、「女性が、自分がなりたい姿になるためにするのが化粧」という考え方が、改めて――新たにではなく、改めて――表明される場面もあった。

今、ここで、知ったかぶりをして、「改めて」などと書いたが、私としてはこれは、「新しい」考え方だった。

話は変わるが、三浦しをんの『むかしのはなし』という作品がある(幻冬舎文庫・ISBN978-4-344-41095-4・初出は2005年)
収録作品の中にあるのが、『たどりつくまで』である。
地球の滅亡まで、3ヵ月と迫ったある日、既にほとんど人のいない街で、未だにタクシードライバーをしている主人公のタクシーにある女性が乗る。
その女性は、かなり大きな「美容整形」の最中である。(顔の半分が(この女性曰く)「工事中」。
彼女は問う。
「もうすぐみんな死ぬかもしれないってのに整形だなんて、馬鹿げていると思う?」
主人公は「いいえ」と答える。

そして、「私のまわりのひとはみんな、どうしてなのか知りたがったわ」と、
主人公はさらに答える。
「自分の身体を――自分で居心地のいいように作りかえるのに、どうして理由が必要なのが、私にはわかりませんね。整形と、ジョギングで身体を鍛えたり、腐った盲腸を切り取ったりするのとは、どこが違うんでしょう?」

正直に言えば、初めてこのお話を読んだとき、心に残るお話であるというのはそれとして、この会話には、「『そういう考え方』もある」という印象を持った。
しかしながら、冒頭書いた、「女性が(男性にこびを売るためではなく)自分がなりたい姿になるためにするのが化粧」という考え方は、まさに、2005年に既に書かれていた、この言葉に言い尽くされているのだと、2018年の昨年、やっと気づいたというのが、正直なところである。

最後に、このタクシードライバーの主人公。実は、「彼女」をとりまく、性のアイデンティティーにも、一ひねりがあったりする。
posted by 麻野なぎ at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ジェンダーをめぐる雑感

2018年10月26日

ひとりで男の部屋に行った女の子は、「覚悟」すべきなのか?

少々旧聞に属しますが、あるアイドルの部屋に行ったファンの女の子が、婬乱な行為をされたという事件がありました。
もちろん、それは犯罪ではあるのですが、その中で、「一人で男の部屋に行くというのは、女性のほうもそれなりの覚悟をしているのでは」という考え方もあったようです。
この記事は、やはり、それは、男性の側の思い込みなのではないかなという、そういう記事になります。

まず、この記事を書いている、2018年10月の時点では、「恋愛対象は異性である」という人の比率が(是非ではなくて)高いということは書いておきます。
さらに、性に関する話題を述べる際に、性に関する感じ方という点では、男女間で、大きな不平衡があるという点を指摘しておきます。
例えば、女性にとって、向こうから歩いてきた男性に突然身体を触られるということは、恐怖、あるいは嫌悪の対象です。
一方、男性にとって、向こうから歩いてきた女性に突然身体を触られるということは、それほど嫌悪の対象ではありません。
人によっては、「ラッキー」という反応をするかもしれません。

この記事を書いている、今の時点で、こういう背景を意識したとすると……。

女性が男性を見る視点として、「親密度」と「(ここまでなら接近されても良いという)距離感」というものがある気がします。
女性が、初対面の(=見ず知らず)の男性を見る場合、おそらくその男性は、「確率的には自分に対して何もしない可能性が高いけれど、もしかして、いきなり痴漢をしてくる可能性がある人物」と見えるはずです。
多くの男性にとって不本意かもしれませんが、世間で痴漢犯罪がそれなりにあり、かつ、置換の加害者が外観で区別できない以上、「目の前の(未知の)男性は痴漢かもしれない」という判断は、当然といます。

このレベルで、
親密度=赤の他人
距離感=身体が触れる範囲に入るな
でしょう。

単なる通りすがりではなく、仕事で縁があったり、上記のようにファンだったりすると(というか、ファンになる途上で)この男性に対する知識が増加します。
そこで、もしも、「ああ、この男性は、いきなり痴漢したりしない人のようだ」という理解ができれば、次のレベルに進み。
親密度=素性をある程度知った人
距離感=日常会話をするレベルまで接近してもOK
かと思います。

もちろん、男性に対する知識が増加する局面で、「この人は痴漢する人かもしれない」と思えば、「距離感=身体が触れる範囲に入るな」のままでしょう。

こういうわけで、おそらく、女性は男性と対峙した場合に、未知の男性は痴漢である可能性を排除できない。と考えると思います。
そして、(確かに、比率としては痴漢をしない男性のほうが多いので)やがて、「この人は痴漢をしない人のようだ」と判断できた時点で、距離感を狭めることができるのです。ただ、この時点で注意しておかなければならないのは、親密度のほうは、それほど変化してない(未知の人がある程度少知った人になる程度)ことです。

男性を考えてみましょう。
上述の通り、2018年10月の段階では、多くの男性が、女性に襲われるとは考えていません。
だから、男性の女性に対する支点は、ほぼ、親密度のみであると考えて良いと思います。
つまり、男性が女性を見た場合、「親密であれば距離も狭まる」と認識します。

ここで、「男性の部屋に行くなら……」に対する、意識の差が発生します。
女性が、「男性の部屋に行く」のは、(あるいは、親しく話すようになるとか)、必ずしも、男性に対して親密になったからということを意味しません。
それどころか、「この人は痴漢をしない人のようだ」という判断に寄っている可能性が高いと思われます。

一方で、男性から見れば、「親密度」しか要素がないので、「女性が最近話しかけてくれるようになった(部屋に来てくれた)=自分に対して、好意を持ってくれた」と誤解しがちです。
ですので、女性が、「自分に対してよくしてくれた」と思い込んで、一方的なストーカーになったりという場面もあるのだと思います。

この点、やはり、男女間の感じ方の不平衡があると思うわけですし、男性としては、一方的な思い込みで女性に言い寄るというのも、もってのほかと、そうなると思います。

【追記・自分はゲイであるというカミングアウト】

さて、冒頭、「2018年10月の時点では……」などと書きました。
今の時点では、「恋愛対象は異性」という人が多いのは、おそらく確かなのだけれど、それでも、「自分はゲイである」というカミングアウトが話題になったりします。
さて、これに関連して、「自分(男性)の知り合い(これも男性)が、ゲイだった。怖い」のような意見が、たまに見られるわけです。
※白状すれば、私自身も、知り合いがカミングアウトしたら、そう感じたかもと思います。

でも、これは、二重の意味で間違いであるし、失礼です。

まず、現在多数を占める「恋愛対象は異性」という人の多くが、四六時中恋愛の(または、性的な)ことを考えているわけではありません。
私自身、仕事中に女性と話をしても、そのたびに、性的なまなざしで相手を見るなんていうことはないわけです。(一生を通じて一度もないとはいないかもしれない)
また、恋愛対象という意味では、誰しもが選ぶ権利はあり、目に付く異性をことごとく性的なまなざしで見るということも、ないわけです。(おそらく)

だから、当然のことながら、友人がゲイだったとして、男性である自分を「性的なまなざしみる」可能性は少ないわけで、いきなり、「怖い」はないはずです。

が、一方で、これは、女性が男性一般に対して抱いている恐怖でもあるということを感じた次第です。
上述しましたが、可能性だけの問題でいえば、目の前の男性が(女性である)自分を性的なまなざしで見ているという頻度は、そんなに多くはないはずです。
が、可能性として存在する以上、「現に目の前にいる男性が自分を性的なまなざしで見ているのではないか」あるいは、「実際痴漢してくるのではないか」という恐怖はあると思います。
そして、男性がそれを感じなかったのは、従来は、「女性に(男性である)自分が性的なまなざしで見られても、よしんば痴女であっても問題ない」という認識からです。
だから、「ゲイである」というカミングアウトによって、「この男性に(男性である)自分が性的なまなざしで見られる『可能性』がある。実際痴漢してくるのではないか」という認識で、初めて、「恐怖」を感じることができたのでしょう。
posted by 麻野なぎ at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ジェンダーをめぐる雑感

IFTTT + DateTime + Todoist による、「毎日のタスク」設定(google カレンダー同期使用時)

さて、実は、かなり以前から、上記のサービス(IFTTT と Todoist)を使用していました。
その中で、「毎日実行するタスクを忘れないために(いや、例えば、薬を飲むとかですが)」Todoist に毎日特定のタスクを、IFTTT経由で追加するようにしました。
と、ここまでで、「いや、Todoist 自体が、繰り返しタスクを定義する機能を持っているはずだ」とお考えのあなた、正解です。

私も、最初は、「薬を飲む」ことを、Todoist の繰り返しタスクで設定してみました。
Todoistにおける、繰り返しタスクの運用はかなりよくできていて、例えば、「毎日薬を飲む」と設定しても、見かけ上、「今日」にしかタスクは現れません。
そして、今日のタスクを実行し終えると、「明日」にタスクが現れます。
備忘録としてのタスクは、これは非常に都合の良い動作です。

ところが、google カレンダーと同期をした時点で、ちょっと面白くないことが発生しました。
単に備忘録として設定したかったはずの「薬を飲む」が、google カレンダーには、今日以降、毎日表示されてしまうのです。
もともと、「毎日実行するタスク」にも、2種類あって、「ラジオ講座を聴く」のような、ある程度の時間を要するものは、googleカレンダーに、毎日(時間を表す帯を持って)表示されていても、何も不自然ではありません。
でも、「薬を飲む」のような、時間を決めると言うよりも、単に忘れないためのタスクは、カレンダーに毎日表示されるのが正直うっとうしく感じました。

そこで、IFTTT の This のサービスにあった、DateTime から、「毎日」Todosist に、「薬を飲む」を追加することにしました。
IFTTT の Then の条件で、追加する日付の項目がありますが、ここに(直接日付を記入するのではなく)「今日」や「明日」も使用できますので、なかなか便利です。

これで、google カレンダーには、当日しか表示されず、Todoist でも、「今日のタスクリストを見たら表示されている」というパターンを実現できました。

posted by 麻野なぎ at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ツールの周辺

2018年09月30日

「粉末水素水」に対する批判について

少しばかり旧聞に属するが、「粉末水素水」が話題になったことがある。
おそらく、きっかけは、岐阜新聞の記事 https://www.gifu-np.co.jp/news/20180822/20180822-67427.html になるかと思う。
そして、Twitter などでは、これを受けて多くの否定的な意見が見かけられた。

私自身、水素水の効果そのものは疑わしいとは思っている。
しかしながら、この、粉末水素水に対する否定的な意見を見ると、その中には、いくつかの問題が見受けられるというのも事実であると思う。

否定的な意見の多くは、「ともかくそんなものはあり得ない」という論調で構成されている。たとえば、

・粉末の水素水、見ただけで楽しくなってしまうんだけど水素って融点-259.2℃だし沸点-252.6℃なの。たのしいね
・「水素水を粉末にした」???俺なんか別の宇宙に移動してる?
・「粉末の水素水」という言葉に三態(固体・液体・気体)が全部含まれてて素晴らしい。

など。

しかしながら、怪しいから否定するというだけでは、やはり、科学的な態度とは言いがたいと思う。
「粉末水素水」が、何をどう主張しているかを見極めて、それを(間違いであれば)否定するという態度は大切である。

冒頭に引用した記事では、確かに、「水素水を粉末にした新商品」と書いており、これは、間違った表現だと言える。
ただし、読み進めていくと、正しくは、「『逃げない水素水36』を凍結乾燥して粉末化したもの」と書かれていることがわかる。

つまり、一般的な「水素水」ではなく、「逃げない水素水36」という固有の商品を冷凍乾燥したものと主張しているのである。
このことから、単に、「水素水は冷凍乾燥できない」や「融点が-259℃のものを常温で固体にできない」という主張は、(相手の言うことを聞いていないという意味で)間違っていることがわかる。

では、「逃げない水素水36」とは何か?
メーカーの Webによれば、「Mgに水素分子を閉じ込め、コロイド状にして水に溶かし込んだもの」であることがわかる。
これが正しいとすると、コロイド状の物体であれば、凍結乾燥それ自体は不可能ではない。

であれば、単に、「水素水を凍結乾燥できるはずがない」では、やはり、反論としては苦しいと思う。

もっとも、メーカーのWebには、発生した水素全体を「これがすべて水に溶けていたら」と間違った前提で、濃度を算出して見せたりとか、単に、水素が発生するという事実や、その、発生量(濃度ではない点に注意)の測定を依頼しただけの大学を「共同研究」にしていたりとか、まあ、怪しいのは事実であると思う。

でも、「怪しい」からこそ、「そんなものはあり得ない」ではなく、「相手の主張のここは間違っている」と、いう意見で否定しなければならないと思う次第である。
posted by 麻野なぎ at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2018年02月10日

続・日本人は「人に迷惑をかけるな」といい、インド人は……。

あるいは、NAVER まとめの限界。

最近、ふとしたことから、NAVER まとめの以下のエントリーを見つけた。

https://matome.naver.jp/odai/2136452550659466301

この中で、こういう形で引用されているのだけど、さすがに、「これは迷惑」

--------------- 引用ここから --------------------
> 日本の親は「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教える。

> 出典
> 日本人は「人に迷惑をかけるな」といい、インド人は「自分も迷惑をかけているのだから」という: ここですという名前のブログやさん

> アメリカやイタリア同様、「お互いさま」の考え方ですね。
--------------- 引用ここまで --------------------

もちろん、無断引用だからというお話「ではなく」間違った引用は迷惑ですという、そういうお話。
該当の記事は、

http://koko.axis.blue/article/44269890.html
(URL の表記は異なりますが、同じものをポイントしています)

この記事は、
・日本の親は…… という話を聞くことがある。
・でも、冷静に考えると、それはおかしいのではないか。
・ちなみに、「本当にインドでそう言われているか」は、検証できていません。
という内容です。

にもかかわらず、
・そもそも引用文が間違っている
 オリジナル「日本の親は……と教えるそう。」(伝聞)
 引用の表記「日本の親は……と教える。」(当方が断言しているように見える)

・そして、「アメリカやイタリア同様、「お互いさま」の考え方ですね。」と結論している。

これは、誤った引用と言えるでしょう。
もちろん、読者が、オリジナルのURLを参照して、こちらの記事を確認の上、正しく判断してくれれば問題ありません。
が、それはそれとして、オリジナルの内容をゆがめて「引用」されるのは、やはり、迷惑です。

posted by 麻野なぎ at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感・ことば

2018年01月03日

私の読書メーター 2017

2017年の読書メーター
読んだ本の数:42
読んだページ数:10754
ナイス数:45

見知らぬ町ふしぎな村 (安房直子コレクション)見知らぬ町ふしぎな村 (安房直子コレクション)感想
もともとは、NHKのラジオ文芸館で『遠い野ばらの村』が放送されながらも、聴けなかったという縁で読んでみました。 安房直子さんらしい優しい短編集です。 が、しかし、「しあわせになったね」というよりも、なんか、そんなんでしあわせになれてしまうの? という感じ方が、残ってしまいました。(もともとファンタジーではあるのですが)
読了日:12月09日 著者:安房 直子,北見 葉胡
往復書簡往復書簡感想
湊かなえ は、すごいなと、まずはそれを。 ミステリーというのでしょう。少なくとも推理小説ではない。 3話からなる短編は、それぞれに、他愛のないやりとりから始まって、次第に深い闇の部分に入って行く。 それぞれは、深刻な物語なのに、読後感はよい。
読了日:12月07日 著者:湊 かなえ
なんだかんだ名探偵 (ミルキー杉山のあなたも名探偵)なんだかんだ名探偵 (ミルキー杉山のあなたも名探偵)感想
このお話自体は、かなりしょきのものだとおもいますが、今回初めて読みました。 相変わらずの、ミルキー杉山、大活躍です。
読了日:12月02日 著者:杉山 亮
探偵さえいなければ探偵さえいなければ
読了日:12月01日 著者:東川 篤哉
だましゑ歌麿 (文春文庫)だましゑ歌麿 (文春文庫)
読了日:11月25日 著者:高橋 克彦
弦のないハープ またはイアプラス氏小説を書く。弦のないハープ またはイアプラス氏小説を書く。感想
なんだかよくわからないお話。 なのに、そうだよねぇ、わかる、それってなる、不思議なお話。 物語を書く人にこそおすすめ……かもしれない。
読了日:09月03日 著者:エドワード ゴーリー
ずっと、あなたのそばにいるよずっと、あなたのそばにいるよ感想
ぅ〜ん。良くあるお話。と思ったら、最後はちょっとグッときました。
読了日:09月03日 著者:坂崎 千春
おこう紅絵暦 (文春文庫)おこう紅絵暦 (文春文庫)感想
面白い。 本格推理かといえば疑問符をつけざるを得ませんし、少しご都合主義な点もあります。 がそれを上回るキャラクターの冴えが読ませます。
読了日:09月02日 著者:高橋 克彦
不連続の世界不連続の世界感想
何か不思議なお話。というわけで、最初のお話を読み終わった後でこれは「ミステリー」なんだとわかった。 とにかく、奇妙な、不思議な
読了日:08月19日 著者:恩田 陸
SOS地底より (文学の館)SOS地底より (文学の館)感想
第26回青少年読書感想文コンクールの課題図書で、1979年8月初版。 良質な作品ではあります。 戦後30年が舞台。確かにこの時代設定なら、戦争を経験したお父さんやお母さんが普通に存在する時でもあります。 少年冒険ものとしては良い作品ですし、最後まで楽しめます。一方で、(おそらくは)敢えて全面に押し出すことのなかった、「主題」の取り扱いが、あまり心に迫ってくるようでもなく、冒険の中のエピソードのひとつに埋没してしまいそうなのは、ちょっと残念な気がします。
読了日:08月17日 著者:伊東信,横山明
暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで暗号解読―ロゼッタストーンから量子暗号まで感想
もともと、上昇処理安全確保支援士受験の周辺知識関連で購入。 暗号の歴史から古代文字の解読まで、幅広くふれられており、とても面白く読めた。 ただ、本来の目的のためには、(多分)ほぼ役には立たなかった。
読了日:08月06日 著者:サイモン シン
トキメキ 図書館 PART5 -転校生のひみつ- (講談社青い鳥文庫)トキメキ 図書館 PART5 -転校生のひみつ- (講談社青い鳥文庫)
読了日:06月10日 著者:服部 千春,ほおのき ソラ
トキメキ 図書館 PART3 -霊能少女 萌!?- (講談社青い鳥文庫)トキメキ 図書館 PART3 -霊能少女 萌!?- (講談社青い鳥文庫)
読了日:06月07日 著者:服部 千春,ほおのき ソラ
トキメキ 図書館 PART2 -「図書館登校」の女の子?- (講談社青い鳥文庫)トキメキ 図書館 PART2 -「図書館登校」の女の子?- (講談社青い鳥文庫)感想
おっと、そこで終わりますか? という終わり方はなかなかでした。 伏線も少しあって、ここから連作を意識してきた気が。 でも、やっぱり、みんな「いい子」すぎる気はします。 面白いけど。
読了日:06月06日 著者:服部 千春,ほおのき ソラ
トキメキ 図書館 PART1 -二人のそらとわたし- (講談社青い鳥文庫)トキメキ 図書館 PART1 -二人のそらとわたし- (講談社青い鳥文庫)感想
良質なお話だとは思います。 ただ、みんなしあわせすぎる気が少々。人はそんなに簡単に仲良くはなれないと思うから。
読了日:06月05日 著者:服部 千春,ほおのき ソラ
とんでもない母親と情ない男の国日本とんでもない母親と情ない男の国日本感想
なんか、かなりの部分で、意見が合わなかった。
読了日:05月22日 著者:マークス 寿子
ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)
読了日:05月22日 著者:川上 弘美
風花 (集英社文庫 か)風花 (集英社文庫 か)
読了日:05月14日 著者:川上 弘美
真鶴 (文春文庫)真鶴 (文春文庫)感想
冷静に考えると、よくわからないお話。 でも、雰囲気は伝わる。抽象画のような作品。 家族の悲しい程の切なさが痛い程伝わる。
読了日:05月07日 著者:川上 弘美
しあわせラーメン、めしあがれ!しあわせラーメン、めしあがれ!感想
児童書としては良くあるお話ではあります。 が、それでも、楽しめました。
読了日:04月30日 著者:上條 さなえ
どこから行っても遠い町 (新潮文庫)どこから行っても遠い町 (新潮文庫)
読了日:04月25日 著者:川上 弘美
夕ばえ作戦 (ハルキ文庫)夕ばえ作戦 (ハルキ文庫)
読了日:04月25日 著者:光瀬 龍
パレード (新潮文庫)パレード (新潮文庫)感想
よくわからない話。でも、センセイとツキコの静かな関係を、心地よく伝えるお話。谷口ジローのコミカライズには、確かこの話も含まれていたと思う。
読了日:03月18日 著者:川上 弘美
闇の守り人 (偕成社ワンダーランド)闇の守り人 (偕成社ワンダーランド)
読了日:02月20日 著者:上橋 菜穂子
季節風 秋 (文春文庫)季節風 秋 (文春文庫)
読了日:02月11日 著者:重松 清
百日紅の咲かない夏百日紅の咲かない夏
読了日:01月10日 著者:三浦 哲郎
神様 2011神様 2011感想
なんか、オリジナルの『神様』(これも収録されている)のパロディぐらいにしか見えない感じがしてならない。
読了日:01月07日 著者:川上 弘美
これが「週刊こどもニュース」だ (集英社文庫)これが「週刊こどもニュース」だ (集英社文庫)
読了日:01月01日 著者:池上 彰

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posted by 麻野なぎ at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記