2016年01月06日

多用される「……すぎる」

最近、バラエティ番組を中心にか、「……すぎる」という言葉が多用されている気がする。
それも、どうやら、肯定的な意味で使用されていることが多いようだ。
本来、「……すぎる」とは、

〔物事がある数量・程度を〕こえる。度を越える。(学研国語大辞典)

のように、否定的なニュアンスを持っている。
※接尾語としての、「……すぎる」

「大きい服」は、ゆったりとして快適かもしれないが、「大きすぎる服」は、扱いに困るものだ。

もちろん、「辞書に書かれている事柄を盲信するのは良くない」とか、「辞書に書かれていることにこだわるべきではない」とか、「そもそも言葉は変化するものである」という主張は、それぞれ間違ってない。
ただ、言葉が表現の手段であるのみならず、コミュニケーションの手段でもある以上、共通認識としての辞書は、尊重すべきだと思う。

以上のように書いてきたが、私自身は、「美しすぎる人」のように、肯定的な意味で「……すぎる」を最初に使用した人は、センスのある人だと思う。実に、辞書に書かれている(共通の)ニュアンスを無視することで、「常識の範疇で捉えられないような美しさ」を表現したのだと思う。

ただ、繰り返しになるが、それは、「……すぎる」という表現を肯定的な意味では使わないという共通認識があった上での、「常識破り」である。
最初はインパクトを伴った表現であっても、それが、まねされることで、インパクトは薄れてしまう。
今、バラエティで、「美しすぎる人」と聞いても、単に、「とても美しい人」という印象しか与えないであろう。

ニュアンスの喪失である。
言葉は単なる意味の他に、ニュアンスを伴っている。
それを利用する――少数の場合、敢えてそのニュアンスを否定するような使い方をする――ことで、印象を深めることができる。
ただ、それは、多用してはならない。

単に、「辞書にある使い方と違う」というだけではない。
元々あったニュアンスを喪失させ、そしてまた、印象をも喪失させるからである。

posted by 麻野なぎ at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感・ことば