2019年02月03日

父の思い出 ―― まぁるいお月様雲の中

昨年9月に他界した父は、子供の頃こんな歌(?)を作っていたらしい。
※2024/08/20 一部修正

まぁるいお月様雲の中
鎌倉八幡鳩ぽっぽ
ぽーんと鳴るのは花火かえ?(はなびだろうか?)
煙突掃除は真っ黒け
景色を眺める遠めがね
ねんねんころりん子守歌
太鼓が鳴ったら村祭り
リンゴにバナナにチョコレート
飛んだり跳ねたり雀の子
コケコと鶏鳴いている
留守家(るすえ)のじいさん、禿げ頭

それぞれの行でしりとりになっていて、最後の行が、また先頭の行につながる。
私自身子供の頃によく聞いて、未だに覚えている。
(私は、伝承しなかった)

ふと思い出し、覚えている間に、記録しておくことにした。

posted by 麻野なぎ at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

誰のために化粧をするのか 〜『たどりつくまで』の思い

まず、自分自身の立場をいえば、私は「化粧は社会人女性のマナー(常識)」とは思っていない。
少なくとも必須ではないものと捉えている。
一方で、自分の意志で化粧をすることを否定することもないかとは思っている。
さて……。

2018年、資生堂CM騒動など、女性が「男性目線の社会で生きているという現状」が意識された年だった。
その中で、女性が化粧をするのは、男性の視線を意識するからだ――という、ありそうな考え方を否定した、「女性が、自分がなりたい姿になるためにするのが化粧」という考え方が、改めて――新たにではなく、改めて――表明される場面もあった。

今、ここで、知ったかぶりをして、「改めて」などと書いたが、私としてはこれは、「新しい」考え方だった。

話は変わるが、三浦しをんの『むかしのはなし』という作品がある(幻冬舎文庫・ISBN978-4-344-41095-4・初出は2005年)
収録作品の中にあるのが、『たどりつくまで』である。
地球の滅亡まで、3ヵ月と迫ったある日、既にほとんど人のいない街で、未だにタクシードライバーをしている主人公のタクシーにある女性が乗る。
その女性は、かなり大きな「美容整形」の最中である。(顔の半分が(この女性曰く)「工事中」。
彼女は問う。
「もうすぐみんな死ぬかもしれないってのに整形だなんて、馬鹿げていると思う?」
主人公は「いいえ」と答える。

そして、「私のまわりのひとはみんな、どうしてなのか知りたがったわ」と、
主人公はさらに答える。
「自分の身体を――自分で居心地のいいように作りかえるのに、どうして理由が必要なのが、私にはわかりませんね。整形と、ジョギングで身体を鍛えたり、腐った盲腸を切り取ったりするのとは、どこが違うんでしょう?」

正直に言えば、初めてこのお話を読んだとき、心に残るお話であるというのはそれとして、この会話には、「『そういう考え方』もある」という印象を持った。
しかしながら、冒頭書いた、「女性が(男性にこびを売るためではなく)自分がなりたい姿になるためにするのが化粧」という考え方は、まさに、2005年に既に書かれていた、この言葉に言い尽くされているのだと、2018年の昨年、やっと気づいたというのが、正直なところである。

最後に、このタクシードライバーの主人公。実は、「彼女」をとりまく、性のアイデンティティーにも、一ひねりがあったりする。
posted by 麻野なぎ at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ジェンダーをめぐる雑感