算数のテストで、かけ算の順序を間違えて、×にされたという話が、割と繰り返されている。
この点について、少々考えてみた。
【定義に立ち返る】
小学校の教科書によると、
5×3 は、「5を3回足したもの」
3×5 は、「3を5回足したもの」
ということで、意味が異なることになる。
意味が異なるから、当然、「前後をひっくり返しても答えは同じ」というのは、自明ではない。
厳密な数学の世界なら証明が必要だし、小学校でも「発見」の過程は通過するはずである。
なので、この定義に立ち返る限り、かけ算の順序は大切だということになる。
【ちなみに、数学的な定義は】
数学の世界で、自然数のかけ算は、以下のように定義される(ペアノの公理系からスタートする手法)
A×1=A(1をかけても変わらない)
A×B=A×(Bのひとつ前の数)+A
※これは、日常的な言葉で言えば、「AをB回足したもの」というこになる。
ただ、厳密には、B回足すということの定義が結構難しいので、こういう回りくどい定義になる。
例えば、
5×3 =
5×2(←3のひとつ前の数)+5=
(5×1(←2のひとつ前の数)+5)+5=
(5←定義から、5×1=5)+5+5=15
こんな感じの定義になっている。
厳密には、この式だけから、交換法則が成り立つことを証明する。
ただ、この定義は、「自然数」限定の定義である。
「前の数」などという言葉が出てくる定義を、有理数や無理数のかけ算にそのまま適用することはできない。
ならば、有理数や無理数はどう扱うのか?
実は、これ以降は、「かけ算の拡張」が行われる。
例えば、有理数(分数)のかけ算は、
b/a × d/c = (b×d)/(a×c)と定義される。
(a, b, c, d は整数なので、かけ算が定義されていることに注意)
そして、今、整数 N を N/1, M を M/1 と同一視すると、この、「有理数におけるかけ算の定義」は、「その部分集合である、整数に対して適用するときには、整数のかけ算と全く同じ」ということを証明し、「かけ算の有理数への拡張」とする。
というわけで、数学全体から見れば、自然数(少なくとも整数)の範囲を超えた時点で、「かけ算の順序」は無意味になる(少なくとも、その意味は希薄になる)のは確かである。
だからといって、かけ算の初学で、自然数においてもかけ算の順序は無意味であるとはいえないわけである。
【不意打ちではない】
この話題の発端というのは、多くの場合、「子供がテストで×をつけられた」というところからスタートするような気がする。それを見た親の立場で、「かけ算の順序なんてどうでもいいもので、×をつけるのはどういうこと?」という流れのようだ。
ただ、これは、何もそのときのテストで、いきなり、「間違いです」と言われたわけでもないというのは、わかっていただけるといいかなという気はする。
そして、もしも、「このテストの判定はおかしいのではないか?」と思ったら、まずは、教科書を確認して欲しいと思う。
学校では、どういう意図を持って、何を(計算方法なのか、定義なのか)教えているのかがわかっていただけると思う。
さらに、教科書に載っている事項と言うことは、そのテスト以前に、教えられているはずだということも、わかっていただけると思う。
確かに、「教える事項や方法は、それで妥当なのか」という議論はあるだろう。でも、少なくとも「何を意図しているか」を知るのは大切だと思う。また、「テストでいきなり理不尽な扱いを受けた」訳ではないことは、これまたわかっていただけると思う。
それは、授業で確かにやった(はずの)内容だから。
【出題のテクニック】
この項目は、憶測である。
かけ算の順序が間違うというのは、文章題の回答樽と思う。
そして、小学校低学年に文章題というのは、案外ハードルは高い。
勢い、一定割合の児童は、問題文を読み解くことなく、「問題に出てくる数字を順番に式に割り当てる」という方法で対応することになる。
例えば、「一本5円の鉛筆を3本買いました。いくらですか?」なら、「正解」も「問題に出てくる数字を順番に割り当てる」でも、5×3=15と立式される。
しかし、「鉛筆を3本買いました、1本5円でした。いくらですか?」なら、「正解」は、5×3=15になるし、「数字を順番に割り当てる」だと、3×5=15という立式になる。
だから、「かけ算の順序などというどうでもいいことで×にされた」というよりも、「題意を理解できてなくて、単に数字を順番に割り当てて問題を解こうとしている」という傾向に注意すべきかもしれないのだ。
【追記・マイナス×マイナス=プラス?】
本稿に関連して、これも、よく見られる質問で、「マイナス×マイナス=プラス」になるのはなぜか? というものがある。
これを読むたびに、本当は、そこでつまずくのではなく、もう一つ前の段階でつまずいて欲しかったなと思ったりする。
上述の「かけ算の定義」によれば、例えば、
(−3)×5は、「−3を5回足すこと」である(マイナス×プラス=マイナス)
これは、比較的わかりやすいと思う。
次に、
3×(−5)は、「3を(−5)回足す」ことになる。
−5回足すというのはどういうことなのだろうか?
この謎が理解できれば、
(−3)×(−5)は、「(−3)を(−5)回足すこと」の意味で、プラスになるのは容易にわかる。
つまり、マイナス×プラス と プラス×マイナス は、考え方としては、後者の方がかなり難しい。
そして、プラス×マイナス が理解できていれば、マイナス×マイナスは、今度は自然に理解できる。
こういうところでも、初期に習ったかけ算の概念が、薄くなっていることは感じられたりする。
2016年11月21日
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>少なくとも「何を意図しているか」を知るのは大切だと思う。
なるほど。しかしそうであるなら、掛け算順序を批判する人が何を意図しているかを知るのも大切ではないでしょうか?
もちろん、換え算の順序を批判する人の意図を知ることは大切だと思います。
さて、この、「何を意図しているのかを知るべき」というのは、
> 「子供がテストで×をつけられた」というところからスタートするような気がする。それを見た親の立場で、「かけ算の順序なんてどうでもいいもので、×をつけるのはどういうこと?」という流れのようだ。
という文脈で書かれた文章です。
ですので、当然、「何を意図しているのか……」というのは、「テストで×をつけられた、かけ算の順序などどうでも良いではないか」という立場に対して書かれているものです。
少なくとも、交換法則が成立するから順序はどうでも良いという主張に対す縷々回答にはなっていると思います。
2の3倍と、3の2倍が等しいことを証明するのは、私には「ちょっと難しい」範疇に入ります。
小学校では、交換法則を「発見」するわけですが。
> 少なくとも「何を意図しているか」を知るのは大切だと思う。
ここで述べている「意図」は、「かけ算の順序を重視する人々の意図」というよりは、「教科書編集者の意図」です。
意図ですから、主張自体ではなく、その主張の背景にあるものでして、ここでは、「かけ算が、もともと、『何倍』を求める計算であることを強調したい」というのが、その意図になると思います。
そういう点も含めて、掛け算順序を批判している人は調べ上げています。
ここに挙げられているのは教科書会社や大学付属小の例です。
https://togetter.com/li/901635
掛け算順序議論は、「バツにされた。なんで?」がきっかけですが、議論はその先を行っていることをご理解ください。
ただ、それは
> 確かに、「教える事項や方法は、それで妥当なのか」という議論はあるだろう。
の領域かと思います。
そういう議論はあるわけです。
この記事はそれに対する当方の主張であり、発端となった、「意図を知る必要」とは、「バツをつけられた、答えは同じなのに」というお話に対するものであることをご理解ください。
この記事の主張は、「基本的なかけ算の意味づけとして、2×3 と 3×2 の意味合いは異なる」というのみです、
掛算の順序には、「意図がある」というご主張ですね。
貴ブログの過去の記述
http://koko.axis.blue/article/96103165.html
の
「 1680kcal を仮にすべて砂糖で得るとしたら何g摂ればいいか」
という問題で
「 1680÷387×100=434g 」
という式を書かれています。
これは、小学生に教えられている「単位のサンドイッチ」に違反している
のではありませんか?
( 画像による説明 → https://twitter.com/golgo_sardine/status/956883160951767041 )
( 単位のサンドイッチについて → https://www64.atwiki.jp/proper/pages/24.html )
式の意図を掛算の順序にこめて表すというやり方は、
「 子どもには守らせるべきだが、成人は守らなくてもよい 」
というご意見なのでしょうか?
さて、
> 掛算の順序には、「意図がある」というご主張ですね。
いえ、この記事における、「意図がある」という主張は、直接、「かけ算の順序」についてのことではありません。
実際、そういう主張であれば、かけ算の順序には「意味がある」と書くと思います。
実際には、この文章は、
> そして、もしも、「このテストの判定はおかしいのではないか?」と思ったら、まずは、教科書を確認して欲しいと思う。
> 学校では、どういう意図を持って、何を(計算方法なのか、定義なのか)教えているのかがわかっていただけると思う。
> さらに、教科書に載っている事項と言うことは、そのテスト以前に、教えられているはずだということも、わかっていただけると思う。
を受けています。
だから、こどもがかけ算の順序を間違えて×をもらったら、
[正しい対応]
・こどもが×をもらった
・教科書にはどうかいてあるんだ
・そうか、教科書はこう書いてあるのか
・これは、こういうつもりで書いているんだな(ここが、「意図を知る」部分)
・でも、この考え方は受け入れがたい
・なぜなら……
ということになると思います。
そしてまた、真面目に「かけ算の順序を否定」している人達の多くは、こういう論調になっていると思います。
[間違った対応]
・こどもが×をもらった
・かけ算の順序が違うくらいで×なんて(自分の常識にはないから)間違っている。
・ここで終了
です。
「意図を知る」ということは、「反論を述べる」ことの必要条件だと認識しています。
次に、
> 式の意図を掛算の順序にこめて表すというやり方は、
>「 子どもには守らせるべきだが、成人は守らなくてもよい 」
> というご意見なのでしょうか?
これについては、「まあ、その通りです」というのが、私の主張です。
実際に、この記事においても、
> だからといって、かけ算の初学で、自然数においてもかけ算の順序は無意味であるとはいえないわけである。
「かけ算の初学で」 と限定しています。
実際、交換法則を証明するか、それでなくても、気づいた後であれば、計算するのに順序は大きな問題ではないでしょう。
ついでに言えば、かけ算の本来の意味を踏まえた上での、「順序」には、意味があると思っていますが、それを教えるための、「単位のサンドイッチ」には疑問を持っています。
1皿5個のいちご3皿分を
5個×3皿 と立式すると、答は、15個・皿になります。
単位のサンドイッチを成立させるためには、3皿が、無名数である必要があります(実際、「3倍」だと、比率なので、無名数を見なせます)
文章題で、無名数を出すのは困難ですから、これは、後々の単位の計算を含めて考えると、むしろ、副作用が大きいかなと思います。
もちろん、正しくは、
5個/皿×3皿 = 15個
でしょう。
ということを踏まえた上で、
1680÷387×100=434g
という式について。
これは、もともと
・1日の所要カロリー(単位 cal/day)
・砂糖の 100g 当たりのカロリー(単位 cal/100g)
・1日の砂糖摂取量(単位 g/day)
の関係を示したものです。
これも、正しく単位をはめ込むと、
1680kcal/day ÷ 387kcal/100g × 100 = 434g/dayです。
・kcal/100g は便宜上これだけでひとつの単位と考えてください
・最後の ×100 387kcal/100g の単位を合わせるための係数(例えば、% 計算において、数字のつじつまを合わせるための 100)で、無名数です。
なので、桁数を合わせるためにおいてある無名数の 100 を除けば、
kcal/day ÷ kcal/g → g/day
となり、厳密には、「単位のサンドイッチは不可」となります。
100が無名数であるということが納得いかないと言うことであれば、
1680kcal/day ÷ 3.87kcal/g = 434g/day
であれば、自然に見えるかもしれません。
このように、「単位」という物を考える範囲で、例えば、100g 当たりの カロリーと、1日あたりのカロリーは、意味が異なるので、詳細に考えると、別の単位が割当たっていたりします。
こういうことも含めて、安易に「単位のサンドイッチ」のような指導をすることには、賛成できません。
ちなみに、「単位」について、もう少しきっちり指導ができていれば、「速度の問題がちんぷんかんぷん」という人達を減らせるだろうと這お思います。
正確な単位を認識していれば、それだけで立式できる問題が結構ありますから。
Twitter でご提示していただいている式、
100g × (1680kcal/day ÷ 387kcal/100g)となって、答として、g という単位が引き出せません。
これは、487kcal/100g という単位の中に、「100」g が入っているからで、本来は、
1680kcal/day ÷ 3.87kcal/g = 434g/day という関係になるはずです。
この意味でも、最初の 100 は無名数であるのが正しく、そもそも、単位のサンドイッチはできないという事になると思います。
> 1680kcal/day ÷ 387kcal/100g × 100 = 434g/dayです。
で、最後の100が無名数であることが、あるいは、わかりにくいかもしれません。
これは、kcal/100g という単位を使ったことがその原因だと思いますので、
1680kcal/day ÷ 387kcal/hg = 4.34hg/day
という式にしてみようかと思います。
hg の h は、気象情報でおなじみの hPa に出てくる h と同じ物で、100倍を表します。
この式は正解なのですが、答が、hg/day というなじみのない単位になっています。
これを、g/day という知られた単位に直すためには、100倍して hg → g に単位換算する必要があります。
で、答は、4.34hg/day × 100 = 434g/day です。
上の式の最後にある 100 は、ここで出てくる 100が書き込まれている物で、実質的には、hg → g (つまり、100g → g)の単位換算を行うための係数ですから、無名数です。
ひとつ確認させてください。
「 4.34 ヘクトグラム を グラムに換算する 」
というとき、
4.34 × 100 = 434 が正しく、
100 × 4.34 = 434 は間違い( or “望ましくない” )
というご意見ですか?
> 4.34 × 100 = 434 が正しく
>100 × 4.34 = 434 は間違い( or “望ましくない” )
> というご意見ですか?
「単位換算」の表記としては前者が多く、100を「係数」と考えた場合は、後者の式になると思います。
なので、式だけを見れば、どちらでもいいということになると思います。
この記事の主張は
・掛け算の素朴な意味を学ぶ初学者の段階では、掛け算の意味に伴う、式の順序を気にすることは意味がある
・素朴な意味とは2×3を、2を3回足すととらえること。
・ついでに言えば、「単位のサンドイッチ」は、掛け算の意味を踏まえた式の順序を説明するというより、意味はどうでもいいからテストで○をもらえる書き方をするコツで、掛け算の意味をむしろないがしろにしている。
・さらに単位の扱いが不十分でかつ不正確なので、「単位のサンドイッチ」は疑問。
・係数を考えるレベルでは、そもそも素朴な掛け算からはみ出しているので、そもそも式の順序はどうでもいい(でも,それとは別に係数は前という決まりはある)
・3.45hg/day を 345g/day に換算する式は、そもそも、3.45hg が 100個ありました……という問題ではなく、換算係数の問題。だから、それは素朴な掛け算の範疇ではなく、したがって、式の順序はどうでもいい。
まあ、こんな感じです。
記事の内容から逸脱していないと思います。
そこは納得していません。
が、それよりも、単位の換算の方が分かり易いと思うので、こちらを優先させてください。
>「単位換算」の表記としては前者が多く、
>100を「係数」と考えた場合は、後者の式になると思います。
では、単位の換算ではどちらでも良いというご意見ですか?
( 最初は、4.34×100 が望ましいという様に読めましたが )
この掲示板でのやりとりで登場した回答者とは、意見が違うようですね。
http://6828.teacup.com/amajima/bbs/139
http://6828.teacup.com/amajima/bbs/142
「 8cm を mm に換算する 」というとき、10×8 が正しいと言っています。
(この掲示板は、本サイトが消滅してしまいました。
回答しているのは(名前で見る限り)そこの管理人です。)
「 10 と 8 の両方に長さの単位を付けたままなのは間違い 」
という事も言っていて話のスジがぼやけそうになりますが、
本筋は
「 8cm を mm に換算するとき、掛算の順序が片方だけが正しい
などという事があるか?」
という問いに
「 10 × 8 が正しい 」
と答えているという事です。
また、この回答者は「単位のサンドイッチ」(という言葉は使わなかったが)
についても、「ここだけを見れば正しい」としています。
その根拠は、「まとめ」に書いたとおりです。
また、カロリー計算の100が無名数であるのは、単位をkcal/hg にするだけで、100という数字がなくなることで、わかるはずです。
どのような単位の組み合わせを用いても、これ以外に消える数字はありません。
さらに、こちらのブログでは、「単位のサンドイッチ」は疑問としています。
このブログの意見と、「単位のサンドイッチ」は正しいとするブログの意見は同じだと考える方が、不自然だと思います。
では、Twitter で提示いただいた
> 100g × (1680kcal/day ÷ 387kcal/100g)
の答の単位が、g になるということを説明してください。
おそらく、元の発想では、
100g × (1680kcal ÷ 387kcal)という式で、カッコの中が、全体として無名数になり、だから、答の単位は g で、全体として、「単位のサンドイッチ」の例になっていると言うことだと思います。
しかしながら、1680kcal は、「1日当たり」、387kcal は、「質量100gあたり」です。
ですので、1680 を 387 で割った答は、無名数にはなりません。
これは、物理の分野で「次元解析」を行えばわかりやすいのですが、「1日当たり」は、時間量であり、「質量100g当たり」は、質量の単位ですから、
kcal/day ÷ kcal / g → g / day という質量÷時間の物理量を必ず持ちます。
これを踏まえた上で、最初の 100g が「質量の単位を持っている」とすると、式の答えは、g という単位にならないことを判っていただければと思います。
別の考え方をすれば、
> 100g × (1680kcal/day ÷ 387kcal/hg)
は、結果を g 単位で得たい場合の計算式です。
もちろん、結果を hg 単位で得るためには、
(1680kcal/day ÷ 387kcal/hg)
だけでOKです。
結果を kg 単位で得るのであれば、
(1/10) × (1680kcal/day ÷ 387kcal/hg)
になります。
なぜ、同じ条件で計算をしようとするのに、答の単位を変えただけで、g を伴った物理量が変化するのでしょうか?
これは、これが、物理量ではなく、単なる単位変換の係数(つまり、無名数)であることを意味しています。
さらに、g という単位と、hg という単位の関係です。
x hg = 100x g という計算式が当然成り立ちます。
形式的に変形すると h = 100 という無名数になります。
この 100 というのは、hg という単位と、g の単位の比です。
さて、先ほど、kcal/day と kgal/hg の割り算は無名数にはならないと言いました。
それは、day という 時間量を、hg という質量で割るためです。
hg と gの場合はいずれも質量数という(物理的に)同じ次元を持つ単位なので、割り算の結果は、比であるところの、無名数になります。
kcal/day を kcal/hg で割ったものが無名数にならないのは、ガソリンの燃費の話題で、km/l を km/円 で割ったものが無名数にならないのと同じです。
10km/l は 0.1km/円の100倍というのは意味を持ちませんから。
10km/l ÷ 0.1km/円 = 100円/l という単位と意味を持ちます。
同じように、kcal/day を kcal/hg で割ったものも、hg/day という単位を持ちます。
ここまでは、単位の取り扱いについでです。
本題から言えば、「単位のサンドイッチ」は疑問 と主張しているのに、単位換算の式の順序を問われるということが、少々不思議です。
分かりやすいように
・単位のサンドイッチの考え方は間違い
・素朴な掛け算の意味を超えた時点で式の順序は気にしない
と、明示したつもりでしたが。
ちなみに、素朴な定義の掛け算(同じ数を何個か足しあわせる)と同じ計算方法が、単位換算や一般的にスケーリングの計算に使えるというのも、説明は結構難しいと思います。
>このブログの意見と、「単位のサンドイッチ」は正しいとするブログの意見
>は同じだと考える方が、不自然だと思います。
それだけ確認できれば、私としてはじゅうぶんです。
「 貴ブログの言う“素朴な掛算”の範囲内で順序統一する、とういう人々が、
『高学年・もっと複雑な問題でどうするか』で一致していないのですから、
保護者として、困惑するばかりである 」
という事をお伝えしたい、それだけです。
「 掛算の順序は、スカラーに限り、どうでも良いとするのが正しい 」の人々
には、こういうブレがありません。
>しかしながら、1680kcal は、「1日当たり」、387kcal は、「質量100gあたり」です。
>ですので、1680 を 387 で割った答は、無名数にはなりません。
その説明は、受け入れることが出来ません。
問題のとらえ方次第ですが、
「 100g の砂糖で 387kcal が得られるとした場合、
1680kcal を得るには砂糖が 何g 必要か」
という問題ともとらえることが出来るはずです。
>「100g の砂糖で 387kcal が得られるとした場合、
>1680kcal を得るには砂糖が 何g 必要か」
>という問題ともとらえることが出来るはずです。
そういう問題であれば、その通りです。
その問題だと、「一日所要量」という情報が含まれませんから。
ゴルゴ・サーディーン さんの「2018年01月28日 18:39」のコメントに関して2点。
まず、
> 貴ブログの言う“素朴な掛算”の範囲内で順序統一する、とういう人々が、
>『高学年・もっと複雑な問題でどうするか』で一致していないのですから、
> 保護者として、困惑するばかりである 」
と言われても、ここのブログ主としては、どうしようもない。
もっとも、保護者としても、混乱するのではなく、判断をしてみてほしいという一般的な意見は言えるkれど。
そして、
> 「 掛算の順序は、スカラーに限り、どうでも良いとするのが正しい 」の人々
> には、こういうブレがありません。
これに至っては、「順序はどうでもいい」という主張の中で、ぶれがないのは当然で、ぶれていたら、つまり、「基本的に順序はどうでもいいけど、こういう場合には順序が大切」という主張なら、それは、「掛け算の順序を気にする人」に、ふつうは分類されるだろう。
ちなみに、このブログの立場も、「掛け算の順序はどうでもいいけど、掛け算の習い始めだけは、きっちりと、順序を決めようよ」という立場なので、「基本掛け算の順序はどうでもいい」に分類できなくはない。
最後に、
> 問題のとらえ方次第ですが、
>「100g の砂糖で 387kcal が得られるとした場合、
>1680kcal を得るには砂糖が 何g 必要か」
>という問題ともとらえることが出来るはずです。
これも、「そういう問題であればその通りです」だけで済ませるのもなんなので。
もともとの、指摘を受けた式というのは、
1680÷387×100=434g
で、式の中に単位を書かなかったのは、失敗でした(さぼってましたという意味で)
説明にもあるように 1680 という数字は、「成人女性の一日所要カロリー」で、単位は、kcal/day
387というのは、砂糖 100g 当たりのカロリーで、単位は、kcal/hg
(hg は、100g を表します)
なので、単位を含めると、
1680kcal/day ÷ 387kcal/hg = 4.34hg/day つまり、一日当たり、の質量(ただし、100g単位)となる。
元の式は、あえて書けば、
1680kcal/day ÷387kcal/hg × 100g/hg = 434g/day となる。
最後の 100g/hg が単位換算の係数で、ゆえに、実質的に無名数となる。ここでは、説明のために、g/hg という単位を付けたが、同じ質量の単位通しの割り算なので、無名数として扱うことができる。
式に適切な単位を付けることで、式の意図を示すことができるし、また、計算方法が正しいことを、ある程度保障することができる。
さて、それでは、上で示された 100g の砂糖で…… という問題だとすると、この式は、
100g × (1680kcal ÷ 387kcal) = 434g となる。
これは、例えば、
100g : xg = 387kcal : 1680kcal という比の式において、x を求めるような問題で立式されるものになるだろう。
この式は、(この場合は)砂糖の質量と、それから得られる熱量が比例関係にあるということしか表さない。
それが、「一日の所要カロリーである」という情報はもちろん、注意してみると、「質量100gあたりのカロリーである」という情報すら欠落している。
あくまでも、一般的な比例関係の式となる。
実は、こういう、「情報が欠落した抽象的な式」というのは、悪いものではない。
むしろ、方程式などは、式として高度に抽象化することで、(問題の意味を無視して)計算だけの没頭でき、したがって、高度な数学にはかかせないものである。
なので、どちらがいいとか悪いとかではなく、本来、異なった問題に対応した式の表現は異なったものになるというそれだけのことである。
授業では、かけ算の順序を固定しないといけないと教えているのですか?
その場合いったいどんな意図があってそんな教え方になるのでしょうか?
また、かけ算の素朴な定義としては、例えば、
2×3は、「2+2+2」のこと。
3×2は、「3+3」のこと。
という定義をします。
ですので、この時点では、かけ算の定義にしたがった、順序の問題も出てくるわけです。
その後、交換法則を発見し、適用する数(整数・有理数・実数・複素数)の拡張に応じて、上記の定義では手に負えなくなりますし、同時に、順序を固定する必要もなくなってくるわけです。
・テストでこどもが×をつけられた。
・これは、自分の常識とは違う
ということが発生したら、まず、「教科書には何と書いてあるかを確かめて、必要があれば、反論すべき」ということです。
これは自分の常識とは違うから(何も確認せずに)間違いだと断定する……それは間違いだと言うことです。
で、自分の常識とは違うから、教科書は見たことがないけど、それは間違い……という態度そのものはどう思われますか?
それなのに順序が違う事を理由にバツにするというのは理不尽そのものではないですか?
「どの範囲で」と「どういう意図で」を書いたつもりです。
生徒は教えられた以外の解き方をしてはいけないのですか?
教科書にも問題文にもそれが駄目だとは書いてないですよね。
> 生徒は教えられた以外の解き方をしてはいけないのですか?
自由な解答の前には。確かな基礎が必要です。
>教科書にも問題文にもそれが駄目だとは書いてないですよね。
また、掛け算の導入部では、教科書によれば被乗数は乗数の前です。
いずれも、ひとつ前の私のコメントから、容易に読み解けると考えました。
> 自由な解答の前には。確かな基礎が必要です。
つまり子供は
・教えられたことをそのまま丸暗記するのが正解
・自分で考えてはいけない
・思いついてもいけない
・予習してもいけない
ということですね。
「確かな基礎」と「自由な解答」を混同しないでください。
「自由な解答」をすればバツをつけるのですよね?
ということがご理解いただけなかったようで、残念です。
さて、ご理解いただけなかったようですから、(何度目かになりますが)この記事の主張をまとめてみることにします。
【確かな基礎……の範囲】
・かけ算の初学の範囲
・かけ算の素朴な定義をしっかり身に付ける範囲
・つまり、2×3 は、2+2+2、3×2 は、3+3 という意味を持っていると知ること
【自由な解答……の範囲】
・交換法則を「発見」した段階。
・さらに、適用する数を「拡張」と「同一視」によって、拡張すること
ということを主張しています。
また、「自由な解答」とは、もちろん、「確かな基礎」に裏付けられて、「でも、こういう考え方もできる」「でも、この法の方が面白い」と言うことを意味します。
したがって、解答者本人が、「これは、基礎として教わったこの点を適用して、こう変更した方法」と、説明できなければなりません。
単に、「正解例とは異なる記述」をすべて、「自由な解答」と断定することはできません。
以上を踏まえた上で、この記事の中で、「自由な解答」に×をつけると主張している点があれば、指摘してください。
もちろん、具体的な問題を挙げるのであれば、
・それは、上記のどの範囲の問題か?
・解答者は、なぜ、正解例と違う解答をしたのか、説明できたか?
・そもそも、2×3と3×2の式の違いを説明できたか?
という点を含めてください。
結局はなぎさんの仰る「意図」というのは、
「子供の理解がどうあれ、かけ算の順序が違うなら何も理解できていないとみなす」
という常識ハズレな評価基準のことだったのですね。
それと、あえて無視されているのかもしれませんが、「自由な解答」のつもりであったなら、「それはこういう意図だ」と言えば良いのです。
そこは無視ですか?
テストの回答時点で、回答以外のものを考慮するのは、むしろ恣意期と言えるでしょう。
「基礎は理解しているのに『敢えて(基礎を理解しているのだから、敢えて、それをはずしたのですね)』それとは逆に書いた」という場面が思いつきません。
まず、これがどういう状況で発生したのか説明してください。私は「確かな基礎」と「自由な解答」の区別を明示しました。
「自由な解答」と、一般的な言葉で言われても、大変に困ります。
それは、少なくとも単独では、役に立たないでしょう。
合わせ技で、複合的に使えば役に立つ場面もあるかもしれません。
さて、
ところで、いきなり、「生徒の理解度を測れない評価基準がいったい何の役にたつのですか?」という問いが掛けられたのはなぜでしょうか?
そもそも、
> 「基礎はしっかり理解していましたが、解答にはそう書きませんでした」ということであれば、その解答だけを見て、正否を判断することになるのは、当然です。
に対して、
> 結局はなぎさんの仰る「意図」というのは、
「子供の理解がどうあれ、かけ算の順序が違うなら何も理解できていないとみなす」
という常識ハズレな評価基準のことだったのですね。
ということでした。
これは、もちろん、「テストでは回答だけの情報から、正否を判断する」と言うことに対する批判的なコメントだと思います。
では、
> もちろん、マークシートなど、「鉛筆を転がして正解」は○になりますが、これも「常識はずれ」ですか?
に対してはどうでしょうか?
同じく、「子供の理解がどうあれ、正答なら理解できていると見なす」というのは、「常識外れ」と言えますか?
という問いに対しては、無視されていますし、
そもそも、
> テストの回答時点で、回答以外のものを考慮するのは、むしろ恣意期と言えるでしょう。
に対してはどういうお考えでしょうか?
「この子の答は、正答とは違うけれど、確かな基礎を持っているはずなので、○にする」という見解は、普通の感覚では、「いんちき」です。
さらに、
> 「確かな基礎」持っていようといまいと、
>「自由な解答」をすればバツをつけるのですよね?
に対しては、
> 以上を踏まえた上で、この記事の中で、「自由な解答」に×をつけると主張している点があれば、指摘してください。
> もちろん、具体的な問題を挙げるのであれば、
> ・それは、上記のどの範囲の問題か?
> ・解答者は、なぜ、正解例と違う解答をしたのか、説明できたか?
> ・そもそも、2×3と3×2の式の違いを説明できたか?
> という点を含めてください。
とおうかがいしましたが、これも無視されているようですね。
こういう問いをすべて無視して、
> 「確かな基礎」持っていようといまいと、
> 「自由な解答」をすればバツをつけるのですよね?
と、それが、具体的には、どういう状況を指しているのかも提示できず、その上、「生徒の理解度を測れない評価基準がいったい何の役にたつのですか?」というのが、唐突に出てています。
まず、こちらの質問に回答してみてください。
こちらのコメントをほぼ無視した上で、唐突に「生徒の理解度を測れない評価基準がいったい何の役にたつのですか?」と書かれても、「少なくとも単独では役に立たないでしょう」と解答する以外、手の打ちようがありません。
まず、前提として、
・かけ算の順序が問題になるのは文章題のみ
・文章題の意図は、単に正しい結果が出たかを評価するのみならず、「正しく式を立てることができるか」を評価するもの。
ということがあります。
では、この問題を考えてみましょう。
問)ミカンが7個入った袋が、4袋有ります。ミカンは全部で何個でしょう?
これに対して、生徒の解答プロセスには、概ね、以下の3つがあります。
1)「今やっているのは掛け算」だから、掛け算で解ける。出てきた数字は、7と4だから、順番に使って7×4=28。
2)「同じ物を何回足す」問題だから、掛け算で解ける。同じ物(被乗数)は未完の個数7で、何回足す(乗数)は、袋の数の4。だから、被乗数×乗数=7×4=28。
3)「同じ物を何回足す」問題だから、掛け算でとける。使う数字はミカンの個数と袋の数で、4×7=28
さて、3)で、あえて、式の数字を入れ替えたのは、あと一つ説明が必要だろうと思います。
実は、多くの人(大人も含む)は、どうやら、九九の表の半分しか使ってないという話があります。
つまり、<小さい数×大きい数> のほうが、<大きい数×小さい数> より得意だというのです。
やってみれば、なるほどと思う人が多いと思いますが、例えば、4×7=28(ししちにじゅうはち)は、多分、一瞬で答えられても、7×4=28(しちしにじゅうはち)は、一瞬間が空くと思います。
どうやら、計算問題でも一緒で、7×4=と紙に書かれていた場合、あたまのなかでは、「ししちにじゅうはち」と唱えて、28という答を書くケースがままあるようです。
ですので、大人が解答すると、3)の思考経路で、数字が入れ替わったりします。
さて、この中で、明らかに問題なのは、1) です。しかも、こういう思考で問題を解こうとする生徒は、一定数いるようです(私の子供も小学生の頃はそうでした)
2) は、基礎を踏まえた「正しい」解答経路です。
で、問題になるが、3) です。
この場合、2)で示した理解をした上で(これが、「確かな基礎」)、計算しやすい式に置き換えて(これが、「自由な解答」)であればいいですが、単に、「こっちの方が計算が速い」だと問題になるわけです。
さて、ここまでで、「この議論だと、問題のある 1) と、正しい理解の 2) がそもそも区別できないのではないか?」という意見があると思います。
その通りです。
なので、数字を逆にした問題を混ぜます。
問)ミカンが入った袋が、4袋有ります。一袋に、7個のミカンが入っているとしたら、ミカンは全部で何個でしょう?
1)数字を順番にとってきて、4×7=28
2) 正しく被乗数・乗数を理解して、7×4=28
3) 得意な方の掛け算を使って、4×7=28
この問題だと、1) と 2) が区別できることになります。
実際、「掛け算の順序で×をされた」というケースでは、こちらのパターンが多いようです。
なので、「確かな基礎」と「自由な解答」を廻る問題では、×をつけられた本人に、「どういう意図でこの式を作ったのか?」と尋ねるのがいちばんです。
私の子供が小学生の頃、宿題を見ているときには、これを説明させました。
ですので、「掛け算の順序で×」の場合、まず、
・普通の順序の問題なのか?
→ この場合は、上述の 3) の場合なので、無条件に×は、言いにくいです。
いずれにしても、足し算の基礎を理解できた上でなのか、単に、「計算できれば良い」なのかは、確かめた方が良いかなと思います。
あと、「式としては被乗数×乗数」という指導はできるかと思います。
・入れ替わった順序の問題なのか?
→ 普通の順序が○で、入れ替わった順序で×の場合、1) の思考経路になっている可能性が高いです。
立式の根拠が説明できるかどうか、確認しましょう。
以上のような結論になると思います。
掛け算と、そして足し算については、「順序」が良く問題になりますが、割り算と引き算については、まず、問題になりません。
もちろん、これは、割り算と引き算は、交換法則が成り立たないからでしょう。
ただ、これも、本来は、交換法則が成り立たないから=答が違ってくるからという問題ではなく、
問)ミカンを3人に分けます。全部でミカンは12個です。一人当たりはいくらでしょう?
これに対して、3÷12 という立式は明らかに間違いです。
同じく
問)今日はクラブで3人帰りました。クラスの人数が30人だったら、今残っているのは何人でしょう?
これに対して、3−30 という立式は明らかに間違いです。
いずれも、割られる数÷割る数、引かれる数−引く数 という原則に沿ってないということであり、日常的な言葉で言えば、÷のあとの数字は、分配されてゆくグループの数。−のあとの数字は、全体から減った数。という事になります。
ちなみに、テストで○をもらおうと思うと、この段階では、「引き算や割り算は左側に大きな数を持ってくる」ということで、正しい式を作ることができます。
が、この方法は、やはり、当座に○をもらうことを意図して、元の計算の意味を無視した手法です。
私自身は、掛け算における、「単位のサンドイッチ」もこれと同じくらい危険な手法だと思います。
掛け算も、初期の段階では、掛けられる数と掛ける数を区別します。
だから、
問)ミカンの入った袋が7袋あります。一袋にはミカンが4個入っています。ミカンは全部で何個でしょう?
にたいして、
7×4 という立式は、上記の、3÷12や、3−30 と同じくらいには、不自然であるということになります。
これが、掛け算では交換法則が成り立つがために、「結果の数字」だけで判断するとしたら、残念なことだなと思います。
> 同じくらいには、不自然であるということになります。
本気で言っています?
これはなぎさんの学力が小学校低学年にも劣るということの告白でしょうか?
可換な演算と非可換な演算の区別がつかなくなるというのは余程のことだと思います。
これはそのまま可換な演算を非可換だと言い張る「確かな基礎」とやらが間違っていることの証ですね。
> これが、掛け算では交換法則が成り立つがために、
> 「結果の数字」だけで判断するとしたら、残念なこ
> とだなと思います。
という文章の意味が分かれば、可換とか非可換とかいうことを問題にしているわけでなく、それどころか、「可換」と「非可換」の差を前提として、かけ算の順序というものと、可換・非可換を別に論じるべきだと書いたと言うことが、判ると思います。
では、逆に質問してみましょう。
問)ミカンを3人に分けます。全部でミカンは12個です。一人当たりはいくらでしょう?
これに対して、3÷12 という立式は明らかに間違いです。
この、「3÷12 という式が間違っている」ということを、「答が違うから」以外の理由で説明してみてください。
> この、「3÷12 という式が間違っている」ということを、「答が違うから」以外の理由で説明してみてください。
を説明してみてください。
もちろん「間違えた理由」を説明してみてください、などとはは書いていないとは、書いていないことは、おわかりいただけると思います。
あと、
>それどころか、「可換」と「非可換」の差を前提として
の部分はご理解いただけたということですね。
かけ算は「可換」であるにもかかわらず、かけ算の順序を強制するのは非論理的ですね。
> この、「3÷12 という式が間違っている」ということを、「答が違うから」以外の理由で説明してみてください。
を説明してみてください。
もちろん「間違えた理由」を説明してみてください、などとはは書いていないとは、書いていないことは、おわかりいただけると思います。
正答が導けない以外にどんな理由があるのでしょう?
つまり、「文章題というのは、立式と計算の両方を見るものだ」という前提すら判っていただけなかったと、それは判りました。
さて、こちらの話ももう一度まとめてみましょう。
すめなりさんのご意見は、どうも(まあ、今さらの感はありますが)
> かけ算は「可換」であるにもかかわらず、かけ算の順序を強制するのは非論理的ですね。
というコメントに尽きているようですね。
さて、この記事では、「掛け算が可換であるからといって、かけ算の順序を無視して良いと言うことにはならない」という主張をしています(まあ、「初学の段階で」という限定はしていますが)
記事(当方のコメント含む)に書いた「根拠」をあげてみると
・5×3 は、「5を3回足したもの」3×5 は、「3を5回足したもの」ということで、意味が異なる。
・ペアノの定義から構成する掛け算の定義を反映させたもの
・本質ではないが、かけ算の定義の理解を見るための出題テクニック
・かけ算の順序は、被乗数×乗数 の順番であり、この順番は、被除数÷除数 など、他の演算でも意識されている
(この後半が、「『可換』と『非可換』の差を前提として、かけ算の順序というものと、可換・非可換を別に論じるべきだと書いたと言うこと」に相当。)
というところになります。
また、コメントの途中で、「確かな基礎」の定義として、
【確かな基礎……の範囲】
・かけ算の初学の範囲
・かけ算の素朴な定義をしっかり身に付ける範囲
・つまり、2×3 は、2+2+2、3×2 は、3+3 という意味を持っていると知ること
をあげています。
※その意味で、九九ができる。掛け算が間違えずに計算できる問いのは、掛け算全体から見ると、応用の範疇だと思います。
また、2018年02月05日 10:51 のコメントでは、
まず、前提として、
・かけ算の順序が問題になるのは文章題のみ
・文章題の意図は、単に正しい結果が出たかを評価するのみならず、「正しく式を立てることができるか」を評価するもの。
ということがあります。
ということも書いています。
以上は、いずれも、上述の通り、「交換法則が成り立つとからといって、かけ算の順序を無視して良いと言うことにはならない」という主張の根拠としてあげています。
もちろん、これは、当方の主張ですから、それぞれの根拠に対して、「それは根拠にならない」という批判はありうると思います。
が、今回、すめなりさんの一連のコメントは、これらの「根拠」には一切ふれずに、
> かけ算は「可換」であるにもかかわらず、かけ算の順序を強制するのは非論理的ですね。
ということだったようです。
これでは、単なる、当方の主張を全く無視した(それは、批判すらしていないという意味)一方的な主張であり、大変残念な結果いわざるを得ません。
もちろん、これが私の誤解で、「上記にあるこの根拠の全部に、xx日のコメントで、こう批判した」という具体的な指摘が実際にあったなら、謝罪させていただきます。
初学の頃は、掛け算にしても割り算にしても、文章題にでてくる本質的な数字は、2つであることが多いです。
問題の中に出てくる数字が、2つであるということは、言い換えれば、被乗数と乗数(または、被除数と除数)であるということで、比較的式は立てやすいです。
また、割り算にしても、初学の頃は、現実的には、大きな数÷小さな数 という計算しかできません。
が、比率の問題というのは、小さな数÷大きな数 という計算が存在する世界です。故に、比率の問題で、「どちらをどちらで割ったらいいかわからない」ということがでてくるそうです。
また、速度がらみの計算では、掛け算と割り算の混合計算をしますので、「どの数字を掛けて、どの数字で割ったら良いか判らない」ということが発生するそうです。
確かに、日常生活で必要な掛け算や割り算は、行ってみれば、パターン認識に近いレベルで解決可能です。
が、掛け算の(そして、実際には割り算も)のしっかりした基礎が着いてない場合が多いというのは、「速度がらみの計算は全然判らない」という大人が、そんなに珍しくない事とも、無関係ではなかろうと思う次第であります。
> この、「3÷12 という式が間違っている」ということを、「答が違うから」以外の理由で説明してみてください。
について。
これは、2018年02月05日 14:26 のコメントでふれているとおり、
> いずれも、割られる数÷割る数、引かれる数−引く数 という原則に沿ってないということであり、日常的な言葉で言えば、÷のあとの数字は、分配されてゆくグループの数。−のあとの数字は、全体から減った数。という事になります。
です。つまり、計算結果を見るまでもなく、立式の誤りが判ると言うことです。
これは、とても大切なことで、「正答が導けないから間違い」という思考で進むと、「正答の見当がつく問題しか立式できない」という壁にぶつかります。
正しい理解と定義から、正しく立式することで、全く見当のつかない問題でも、ステップを踏んで正解することができるようになります。
そのためには、きちんと立式する力は必要で、正答できるかどうかというレベルではなく、「式として正当かどうか」という点で、評価できる物です。
具体的にはどこに根拠が書いてあるのでしょうか?
正しく式を書いたにも関わらずバツをつけられているから問題となっているのでは?
たとえ2×3=2+2+2、3×2=3+3と定義したとしても
2+2+2=3+3を知りながら
どうやって2×3≠3×2を正当化できるでしょうか?
「計算結果が等しい」と「式の意味が等しい」ということが区別できない限り、まあ、理解は無理だということはわかりました。
もちろん、2×3=3×2 です。= の意味を知っていれば当然です。
しかし、2×3 と 3×2 の意味するところは違います。
> 具体的にはどこに根拠が書いてあるのでしょうか?
さきのコメントに箇条書きになっています。
なお、「どうやって2×3≠3×2を正当化できるでしょうか?」などと当方が書いてもいないことをあたかも当方が主張しているようなこは、謹んでいただきたいと思います。
> 正しく式を書いたにも関わらずバツをつけられているから問題となっているのでは?
ということですが、当方が書いた(ついでに箇条書きにした)当方の「根拠」の「どの記述が間違い」で、ゆえに、あなたのいう「正しい式」という主張になるのか、明らかにしてください。
こちらで書いていないことを、書き足したりしないで。
> しかし、2×3 と 3×2 の意味するところは違います。
たった2行なのに既に矛盾しているのはどういうことですか?
ここで、「たった2行で矛盾がある」と言われても。
「=の意味するところ」は、「値として等しい」ということです。
もちろん、「式の意味するところ」とは別の概念です。
別の概念なので、「式が=で結べること」と「その示しす意味が違う」ということは、矛盾しません。
これは、ここまでながながと説明してきことになりますが、未だに、「この2行で矛盾」と書かれるところを見ると、この、いちばん基本的なところが、おわかりいただけてないということですね。
さて、それはそれとして、「本筋」に戻しましょう。
この記事の主張は、記事にもあるとおり、
> 数学全体から見れば、自然数(少なくとも整数)の範囲を超えた時点で、「かけ算の順序」は無意味になる
> (少なくとも、その意味は希薄になる)のは確かである。
> だからといって、かけ算の初学で、自然数においてもかけ算の順序は無意味であるとはいえないわけである。
です。
そして、単にそう主張するだけではなく、種々の根拠を示しました。
そのまとめは、前述の通り、2018年02月10日 23:12 のコメントにおいて、箇条書きにしたとおりです。
(再掲必要でしょうか?)
それに対する、すなめりさんの主張は、先に挙げた「根拠」には一切コメントせず(テストの回答の妥当性とかに言及するのみでしたね)
> 正しく式を書いたにも関わらずバツをつけられているから問題となっているのでは?
と、「掛け算において、順序が異なる式も『正しい』」という前提で、しかも、「交換法則が成り立つ」という根拠のみの主張です。
もともと、この記事の主張が、「交換法則が成り立つ」ということを前提としている以上、その記事への批判として、「交換法則が成り立つから式は正しい」という主張が無効であることは判ると思います。
※この記事で、掛け算で交換法則が成り立たないからかけ算の順序は大切などと、全く主張してないわけですから。
ですから、この記事で言う、「順序の違う式は間違い」に対する批判コメントは、それに対して当方であげた「根拠」への批判をベースに展開すべきです。
というわけで、本筋に戻しましょう。
あらためて、問います。
> 具体的にはどこに根拠が書いてあるのでしょうか?
さきのコメントに箇条書きになっています。
なお、「どうやって2×3≠3×2を正当化できるでしょうか?」などと当方が書いてもいないことをあたかも当方が主張しているようなこは、謹んでいただきたいと思います。
> 正しく式を書いたにも関わらずバツをつけられているから問題となっているのでは?
ということですが、当方が書いた(ついでに箇条書きにした)当方の「根拠」の「どの記述が間違い」で、ゆえに、あなたのいう「正しい式」という主張になるのか、明らかにしてください。
こちらで書いていないことを、書き足したりしないで。
これの根拠は何なのでしょう?
例えば、
● 指導要領解説
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/07/25/1387017_4_2.pdf
の 113ページ
「言い換えると,(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)と捉えることができる。」
● 数学で使用されているペアノの公理から出発した掛け算の定義
A×1=A(1をかけても変わらない)
A×B=A×(Bのひとつ前の数)+A
※これは、日常的な言葉で言えば、「AをB回足したもの」というこになる。
ただ、厳密には、B回足すということの定義が結構難しいので、こういう回りくどい定義になる。
で、本当に
5+5+5 と 3+3+3+3+3 の「式の意味が違う」というのが判らないと言うことでしたら、それは、もうかけ算の順序の問題ではなく、むしろ、「5を3回足す」と「3を5回足す」の意味を巡る、国語の問題になると思います。
・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
また、なぎさんのペアノ公理系では
・A×1=A(1をかけても変わらない)
・A×B=A×(Bのひとつ前の数)+A
と定義すると
・B×A=A×(Bのひとつ前の数)+A
は成り立たないと定義されているのですか?
・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
問題をすりかえないでいただいたいかなと思う次第です。
「日本語解釈の問題」は「「5を3回足す」と「3を5回足す」の意味を巡る」と書いている通りです。
わざわざ「日本語解釈では」とふりながら、当方が「日本語解釈を巡る問題」と書いたのとは違う話を出してきたのはなぜですか?
>
また、なぎさんのペアノ公理系では
・A×1=A(1をかけても変わらない)
・A×B=A×(Bのひとつ前の数)+A
と定義すると
・B×A=A×(Bのひとつ前の数)+A
は成り立たないと定義されているのですか?
まず、数学で今のところ、最も一般的な定義です。
定義からは交換法則は自明でないので、当然証明が必要です。
もとの記事に「厳密には、この式だけから、交換法則が成り立つことを証明する」と明示している内容を蒸し返すのはなぜでしょうか?
また、当方は、「交換法則と式の順序は議論の本質として関係ない」と繰り返し書いています。
それなのに、ペアノ公理からの定義で、交換法則を問題にするのはなぜですか?
また新しい話を持ち出す前に、ぜひ、すべての事項にご回答をお願いします。
・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
> 定義からは交換法則は自明でないので、当然証明が必要です。
これは、なぎさんのペアノ公理系では交換法則はなりたたないとおっしゃっているのですか?
まずこちらの質問にご回答ください。
では結局、これの根拠は存在しないということでよろしいか?
今回は、議論の進め方についても、論じようと思います。
その前に、すなめりさんの、最近の質問を検討してみましょう。
2018年02月11日 15:45 のコメント
---------------------------------------------------------------------------
で、なぎさんは、以下の2つの文章は同じことを指していると解釈されているのですか?
・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
---------------------------------------------------------------------------
です。
この記事では繰り返し、「掛け算の初学における素朴な定義の段階では、5×3は、『5を3回足したもの』を意味する」と書いています。
これを、「初学の」とか「素朴な定義の段階で」というこちらでつけた限定を敢えて無視して、どちらの解釈かと問うのは
・そもそも、何度も述べた内容を、改めて問題にする「蒸し返し」
・しかも、こちらで書いたことに対して、内容を変更している「改変」
という事になっています。
また、同じコメントの
---------------------------------------------------------------------------
> 定義からは交換法則は自明でないので、当然証明が必要です。
これは、なぎさんのペアノ公理系では交換法則はなりたたないとおっしゃっているのですか?
---------------------------------------------------------------------------
です。
この質問は、かなり不思議です。
そもそもが、「交換法則は自明でないので証明が必要」というのは、「交換法則は成り立つ」という意味です。
これを逆の意味に捉えるというのは、かなり不思議な気がします。
これは、
・こちらの意図を、無視している
と考えられます。
次、2018年02月11日 16:00 のコメント
---------------------------------------------------------------------------
>・5×3 は、「5を3回足したもの」3×5 は、「3を5回足したもの」ということで、意味が異なる。
では結局、これの根拠は存在しないということでよろしいか?
---------------------------------------------------------------------------
です。
これも、当方からは、2018年02月11日 12:39 のコメントで、
● 指導要領解説
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/07/25/1387017_4_2.pdf
の 113ページ
「言い換えると,(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)と捉えることができる。」
> などの根拠をあげ、さらに、もしかしたらと思って、
> 5+5+5 と 3+3+3+3+3 の「式の意味が違う」というのが判らないと言うことでしたら、それは、
> もうかけ算の順序の問題ではなく、むしろ、「5を3回足す」と「3を5回足す」の意味を巡る、国語の問題になると思います。
と、「5を3回足す」と「3を5回足す」の違いが分からないのではないかとも、これも付け加えてみました。
これは、既に根拠をあげているのに、なぜか、これは無視して再度質問という「蒸し返し」になると思います。
さて、ここまでは、最近の質問をあげてみました。
では、2018年02月11日 15:34 の当方のコメントで、
問題をすりかえないでいただいたいかなと思う次第です。
「日本語解釈の問題」は「「5を3回足す」と「3を5回足す」の意味を巡る」と書いている通りです。
わざわざ「日本語解釈では」とふりながら、当方が「日本語解釈を巡る問題」と書いたのとは違う話を出してきたのはなぜですか?
ですね。
これは、「日本語の解釈」の問題は、上述の通り、
この話題の流れの中で振り返ると、
> 5+5+5 と 3+3+3+3+3 の「式の意味が違う」というのが判らないと言うことでしたら、それは、
> もうかけ算の順序の問題ではなく、むしろ、「5を3回足す」と「3を5回足す」の意味を巡る、国語の問題になると思います。
と書いたのを、
> なぎさんの日本語解釈では、以下の2つの文章は同じことを指しているのでしょうか?
・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
と、別の問題として(言い換えれば、こちらで書いていないことを)質問されているわけです。
振り返ると
・2+2+2=3+3を知りながら、どうやって2×3≠3×2を正当化できるでしょうか?
・結局、教科書は「ある順序で固定されないといけない」とは教えていないということですよね?
・可換な演算と非可換な演算の区別がつかなくなるというのは余程のことだと思います。
などと、こちらの買いていないことを主張されているようです。
さて、上記に、「蒸し返し」「(無意識にしろ)改変」の例を挙げました。
これがあると、議論というのは進みません。
実際、
「これの根拠は何ですか?」 → 「……です」
その話は、無視して別の話を、
「では、これの根拠はなんですか?」 → 「……です」
の繰り返しになってしまっています。
次は、蒸し返し・改変などないような、きちんとしたコメントをお願いします。
議論というのは、質問と回答の繰り返しで進むと思いますので、こちらの回答を無視したまま、別の話をどんどん出されても、議論は発散して進まないと思います。
そこで、まずは、以下の未回答の質問に回答をお願いします。
※特に、最後の3個は、先に書いた、「蒸し返し」や「改変」につながるお問い合わせです。
以下の回答にお答えいただけない状態で、新しい話題を振られても、議論の発散を避けるため、それに対する回答は差し控えさせていただきます。
● で、自分の常識とは違うから、教科書は見たことがないけど、それは間違い……という態度そのものはどう思われますか?
(2018年02月03日 16:56)
● 以上を踏まえた上で、この記事の中で、「自由な解答」に×をつけると主張している点があれば、指摘してください。
もちろん、具体的な問題を挙げるのであれば、
・それは、上記のどの範囲の問題か?
・解答者は、なぜ、正解例と違う解答をしたのか、説明できたか?
・そもそも、2×3と3×2の式の違いを説明できたか?
という点を含めてください。
(2018年02月04日 08:20)
● さらに言えば、
「基礎は理解しているのに『敢えて(基礎を理解しているのだから、敢えて、それをはずしたのですね)』それとは逆に書いた」という場面が思いつきません。
まず、これがどういう状況で発生したのか説明してください。
(2018年02月04日 11:19)
●
> テストの回答時点で、回答以外のものを考慮するのは、むしろ恣意期と言えるでしょう。
に対してはどういうお考えでしょうか?
「この子の答は、正答とは違うけれど、確かな基礎を持っているはずなので、○にする」という見解は、普通の感覚では、「いんちき」です。
(2018年02月04日 17:04)
●
問題をすりかえないでいただいたいかなと思う次第です。
「日本語解釈の問題」は「「5を3回足す」と「3を5回足す」の意味を巡る」と書いている通りです。
わざわざ「日本語解釈では」とふりながら、当方が「日本語解釈を巡る問題」と書いたのとは違う話を出してきたのはなぜですか?
(2018年02月11日 15:34)
●
もとの記事に「厳密には、この式だけから、交換法則が成り立つことを証明する」と明示している内容を蒸し返すのはなぜでしょうか?
(2018年02月11日 15:34)
●
また、当方は、「交換法則と式の順序は議論の本質として関係ない」と繰り返し書いています。
それなのに、ペアノ公理からの定義で、交換法則を問題にするのはなぜですか?
(2018年02月11日 15:34)
指導要領解説もペアノの公理も上記のような2つの数式の意味が異なるなどとは言っておらず、よってこの主張は根拠が無いままです。
昨日、「以下の回答にお答えいただけない状態で、新しい話題を振られても、議論の発散を避けるため、それに対する回答は差し控えさせていただきます」と書いたばかりですが、このコメントは、すめなりさんの質問の特徴がよくわかる物なのでこのコメントに対しては、解説をさせていただきたいと思います。
まず、すめなりさんのコメントは
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>・5×3 は、「5を3回足したもの」3×5 は、「3を5回足したもの」ということで、意味が異なる。
指導要領解説もペアノの公理も上記のような2つの数式の意味が異なるなどとは言っておらず、よってこの主張は根拠が無いままです。
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すめなりさんのコメントの特徴をあげつつ、解説させていただきます。
【特徴1・反論の具体的な根拠が示されていない】
「上記のような2つの数式の意味が異なるなどとは言っておらず」というのが、唯一の反論根拠のように見えます。
さて、当方が、指導要領解説とペアノの公理からスタートした積の定義を根拠として示した際には、上述したように、
・被乗数×乗数 という順序を示した指導要領解説の記述
・積の定義から構成した、5×3の展開
以上2点を根拠としています。
詳述すると、
まず。
指導要領解説
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/07/25/1387017_4_2.pdf
の 113ページです。
ここでは、
> 例えば,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めることについて式で表現することを考える。
という問題に対して、
> ことができる。言い換えると,(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる
> 大きさ)と捉えることができる。
と書かれています。
この前後を追加すると、
> 例えば,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めることについて式で表現することを考える。
という問題に対して、
> 5+5+5+5と表現することができる。
> 4+4+4+4+4という表現も可能ではある。
> 5個のまとまりをそのまま書き表す方が自然である。
> そこで,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を乗法を用いて表そうとして,
> 一つ分の大きさである5を先に書く場合5×4と表す。
> このように乗法は,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現とも捉える
と、なっています。
また、ペアノの公理から出発した積の定義では
> 5×3 =
> 5×2(←3のひとつ前の数)+5=
> (5×1(←2のひとつ前の数)+5)+5=
> (5←定義から、5×1=5)+5+5=15
と、定義に随えば、5×3 は、5を3回足したもの
と、説明しています。
しかしながら、この2点の根拠に対して、「この記述は……という意味だが、今回の場合は、……ということなので、適用できない」などの具体的な根拠を示すことなく、「2つの数式の意味が異なるなどとは言っておらず」と断言しています。これでは、「自分が違うと思ったから違う」というのと大差ありません。
【特徴2・一括しての否定】
すめなりさんのコメントの特徴として、全体の一括否定ということがあげられます。
この場合も、
1)5×3 は、「5を3回足したもの」という「式の意味」が判らない
2)指導要領解説にある「(一つ分の大きさ)×(幾つ分)」と「5×3」という具体的な式とのつながりが判らない
3)「5を3回足したもの」という言葉と、「3を5回足したもの」という日本語の意味が分からない
というどのステップで判らないのか、判断に困るところです。
まあ、1) は、もう一度冷静に「指導要領解説」や「積の定義」の式を見ていただくことになります。
2) や 3) は、これを説明せよと言われても、私の能力では無理なので、解説を諦めます。
【特徴3・蒸し返しと改変】
実は、ここで書いた当方の回答は、
2018年02月11日 12:39 のコメントでほぼこのままの形で回答しています。
この中で、上記の 3) については、
> 5+5+5 と 3+3+3+3+3 の「式の意味が違う」というのが判らないと言うことでした
> ら、それは、もうかけ算の順序の問題ではなく、むしろ、「5を3回足す」と「3を5回足す」の意
> 味を巡る、国語の問題になると思います。
と書きました。
私の感覚としては、「(一つ分の大きさ)×(幾つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)」という解説を見て、なおかつ、「3×5が、3+3+3+3+3」であり、「5×3が、5+5+5」であると言うことが判らないとは思わなかったので(上記の 1) 2) はクリアできると思っていた)敢えて、3)まで踏み込みました。
上記の「特徴2」と相まって、どの点が不明なのか判りませんし、また、「特徴1」の通り、どの点で反論されているのか判らないので、回答する側としては、同じ回答を何度も繰り返すことになります。
さらに、これをうけた(はずの)すめなりさんの 2018年02月11日 14:47 コメントでは、
> なぎさんの日本語解釈では、以下の2つの文章は同じことを指しているのでしょうか?
> ・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
> ・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
「5+5+5 と 3+3+3+3+3 の「式の意味が違う」というのが判らないと言うことでした」と書いたはずの「国語を巡る解釈」の問題が、5×3の意味の問題にすり替えられています。
以上、すめなりさんのコメントの特徴を交えながら、解説してみました。
昨日にも書いたとおり、回答をいただけてない質問がありますし、また、このコメントで書いたとおり、議論の進め方に問題を感じますので、今後の対応は控えさせていただきます。
考えてみると、「議論に流される」というのは、恐ろしいものです。
よく考えてみると、もともとも記事で、「かけ算の順序は大切だから」と書いたのは、概ね、以下の通りです。
> なので、この定義に立ち返る限り、かけ算の順序は大切だということになる。
> だからといって、かけ算の初学で、自然数においてもかけ算の順序は無意味であるとはいえないわけである。
> そして、もしも、「このテストの判定はおかしいのではないか?」と思ったら、まずは、教科書を確認して欲
> しいと思う。
> 確かに、「教える事項や方法は、それで妥当なのか」という議論はあるだろう。でも、少なくとも「何を意図
> しているか」を知るのは大切だと思う。また、「テストでいきなり理不尽な扱いを受けた」訳ではないことは、
> これまたわかっていただけると思う。
> それは、授業で確かにやった(はずの)内容だから。
で、要するに、「テストで×をつけられたら、何が何でもそれを○にさせる」ではなく、「どういう理由で×がつけられたのか調べたり話し合ってみませんか?」「で、その後に納得できなければ、議論しましょう」というだけです。
どうも、これが、「正しい答以外は×をつけるという主張ですね」と、誤解されてしまったのは、まあ、なんと言いましょうか。
あと、もう一点、指導要領解説で以下の内容を引用しました。
> 例えば,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めることについて式で表現することを考える。
という問題に対して、
> 5+5+5+5と表現することができる。
> 4+4+4+4+4という表現も可能ではある。
> 5個のまとまりをそのまま書き表す方が自然である。
> そこで,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を乗法を用いて表そうとして,
> 一つ分の大きさである5を先に書く場合5×4と表す。
> このように乗法は,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現とも捉える
です。
ここで、「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」に対して、「4+4+4+4+4という表現も可能ではある」としている点について補足しましょう。
ここでは、この問題に対して、4×5という式を立てることも可能ではあると書かれています。
これに対しては、まず、
そもそも、「表現も可能ではある」「5個のまとまりをそのまま書き表す方が自然である」と、5×4という式の方が推奨されている。というのはあります。
この、「4+4+4+4+4という表現も可能ではある」という話ですが、これは、トランプ配り論法とも言われるように、それぞれの皿から1個ずつミカンを取ると、4個。それを配ることを繰り返すと、4個を5回配ることになるので、4×5という式になるという論法です。
これは、考え方としては、面白い発想ですから、この考え方で、「この考え方は面白いだろう、どうだ」という意思表示として、4×5と書いたのなら、それは、○にすべきでしょう。
が、この理由が、「×をもらったので、後付け」なら、それは、「自由な解答」とは言いがたいと思います。
そして、なにより、このトランプ配り論法は、「被乗数×乗数」という順序を意識した上で、「4を被乗数、5を乗数」と見なすこともできる、だから、4×5 でも良いじゃないか(上述の通り、最初からそう考えていたのなら)というロジックです。
なので、「被乗数×乗数」という順序は肯定しているものである事に注意してください。
> ・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
この2つの文章が同じ意味では無いことを理解できるならば、
指導要領概説が
> ・5×3 は、「5を3回足したもの」3×5 は、「3を5回足したもの」ということで、意味が異なる。
という言説の根拠になっていないことも理解できるでしょう。
> という言説の根拠になっていないことも理解できるでしょう。
いいえ、全く理解できないので、解説をお願いします。
・指導要領解説の記述は、「……」という記述なので、
> ・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
> ・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
のどちらに該当していて、
それは、「第2学年の掛け算」という位置づけに対して、なぜ、そういえるのか?
そして、なぜ、そちらの文章に該当したら、「大2学年の掛け算」という位置づけの中で、「5×3 は、「5を3回足したもの」3×5 は、「3を5回足したもの」ということで、意味が異なる。という言説の根拠になっていないことも理解できるでしょう。」
なのか、よろしくお願い申し上げます。
もちろん、「かけ算の初学の素朴な定義において」と以前に書いているので、「大2学年の掛け算の範囲で」という条件がなければ、これも、「蒸し返し」になります。
> ・5×3 は「5を3回足したもの」と捉えることができる
> ・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
は、いずれも、この記事は主張していないことを理解してください。
2018年02月11日 17:17 のコメントにあるように、
この記事では繰り返し、「掛け算の初学における素朴な定義の段階では、5×3は、『5を3回足したもの』を意味する」と書いています。
です。
これも、こちらの主張していないことを書く「改変」であり、以前のコメントの内容をそのまま問う「蒸し返し」ですね。
指導要領解説には、「4+4+4+4+4という表現も可能ではある」とも書いてあるので、掛け算の順序はどうでも良い……という解釈かもしれませんね。
が、これは、at 2018年02月12日 10:59 にコメントしたとおり、
「4個を5回配ることになるので、4×5という式になるという論法です」ということで、4を5個足したものという解釈をすれば、4×5という式になるという意味です。
なので、この主張は、「掛け算の式は被乗数×乗数」という基本を抑えていることは理解してください。
さらにいえば、これも、2018年02月12日 09:40 にコメントしたように、
1)5×3 は、「5を3回足したもの」という「式の意味」が判らない
2)指導要領解説にある「(一つ分の大きさ)×(幾つ分)」と「5×3」という具体的な式とのつながりが判らない
3)「5を3回足したもの」という言葉と、「3を5回足したもの」という日本語の意味が分からない
のどのステップが判らないのか、明確にしていただけるとわかりやすいと思います。
「一括否定」のような「とにかく間違い」という主張は、相手の意見を妨害するものでしか有りません。
・具体的な根拠がなく
・一括否定
なので、再コメントする側でも、様々な可能性と、それに対する解答を準備しなければなりません。
こういうわけで、コメントは増えてしまいます。
まあ、そろそろ、「以前の質問にご回答をいただくまで、ご対応は控えさせていただきます」を実行しようかなとは思います。
このとき5×3は、『5を3回足したもの』以外を意味すると捉えることはできますか?
2018年02月12日 11:49 の当方のコメント
また、
2018年02月11日 22:23 の当方のコメント
以上に回答いただくのが筋ではありませんか?
ということだけ書いて、(上記の回答がない限り)対応をやめさせていただくこととします。
> ・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
この2つの文章の違いがわからないということならば、
指導要領概説が根拠にならないにも関わらず根拠であると主張
される理由がなんとなく察せられます。
5×3は、「5を3回足したもの」でもあるし、その他の意味も考えることは可能。
記述の適用範囲は、特に指定されていない。
> ・5×3 は「5を3回足したもの」以外に捉えてはいけない
5×3は、「5を3回足したもの」であって、それ以外の意味は付加できない。
記述の適用範囲は、特に指定されていない。
以上は、すめなりさんのコメントのみに表れる表現であって、いずれもこの記事の主張ではない。
この記事における主張は、
> 「掛け算の初学における素朴な定義の段階では、5×3は、『5を3回足したもの』を意味する」
5×3は、「5を3回足したもの」であって、それ以外の意味は付加できない。
ただし、適用範囲は、「初学」の「掛け算の素朴な定義」を適用する範囲。
さて、それでは、
2018年02月12日 11:49 の当方のコメント
また、
2018年02月11日 22:23 の当方のコメント
以上に回答が可能ですね?
まさか、また、上記の回答を回避して、他の話題を振ってきたりしませんよね?
といいつつ、また出てきてしまいました。
今度こそ、「(上記の回答がない限り)対応をやめさせていただく」こととします。
いや、本当に。
> 例えば,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めることについて式で表現することを考える。
という問題に対して、
> 5+5+5+5と表現することができる。
> 4+4+4+4+4という表現も可能ではある。
> 5個のまとまりをそのまま書き表す方が自然である。
> そこで,「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を乗法を用いて表そうとして,
> 一つ分の大きさである5を先に書く場合5×4と表す。
> このように乗法は,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現とも捉える
の、「表現することができる」が気になったわけでしょうか?
(だから、一括否定は困るのです。問題としていると思われる場所のの特定に時間が掛かって、さらに、推測しかできないから)
> 5+5+5+5と表現することができる。
はい、全体の数の計算方法として、「5を4回足す」という足し算の式を書くことができます。もちろん、「他の方法もあります」
で、この、「5を4回足す」という式を採用した場合、これを、5×4 と表現するわけです。
なので、こちらの、「……と表現することができる」は、ミカンの個数の表現方法であって、5×4の表現方法には言及していません。
もしくは、このあとの、
> このように乗法は,同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現とも捉える
でしょうか?
こちらのほうは、「同じ数を何回も加える加法,すなわち累加の簡潔な表現とも捉える」だけを取り出せば、「掛け算には、累加の簡潔な表現 以外の表現にも使える」という意味です。
実際、算数・数学の範囲では、別の表現もあります。
ただし、「このように」という形容動詞が先行していることに注意してください。
これは、それが適用できる事例や範囲を限定しているので、「「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めること」が、とりもなおさず、「累加の簡潔な表現」であることを指定しています。
「累加の簡潔な表現と捉える」場合を説明しているのであり、それは、とりもなおさず、「掛け算の素朴な定義」の範囲です。
文章を切り刻んで読むと、いろいろと誤解をすることがあります。
それにも関わらず、交換法則を習った後に出てくる7×8などでも順序が固定され続けているのが現実です。
九九の表などを眺めながら、「かけ算を入れ替えても『結果の数字』は、同じ」ということを、発見する過程があります。
あと、この記事の主張は、かけ算の素朴な定義の段階では、「交換法則が成り立つことと、式の意味を意識することは別」ということですから、交換法則が成り立つことと、かけ算の順序を意識することは、もともと、「別の問題」と主張しています。
※一度コメントを書きましたが、コメントをいただいた形を間違って認識していたので、その部分を修正しました。
> 「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を求めることについて
> 式で表現することを考える。
として
・5+5+5+5
・4+4+4+4+4
・5×4
が例示されているだけです。
ここには 4×5 は例示に上がってはいませんが
「4×5と表現できない」と書いてあるわけではありません。
また同ページではこの乗法表現について
> 「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を
> 乗法を用いて表そうとして,
> 一つ分の大きさである5を先に書く場合5×4と表す。
と記述しています。
つまり
「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を
乗法を用いて表そうとして,
一つ分の大きさである5を後に書く場合4×5と表すことになります。
よって指導要領解説 113ページは
>・5×3 は、「5を3回足したもの」3×5 は、「3を5回足したもの」ということで、意味が異なる。
との言説の根拠となっていません。
> ・4+4+4+4+4
> ・5×4
せめて、
5+5+5+5 で表すことが適切なので、5×4と表記すると書かれていることは理解してください。
> 「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」を
> 乗法を用いて表そうとして,
. 一つ分の大きさである5を後に書く場合4×5と
> 表すことになります。
まず、すめなりさんが、
「被乗数と乗数を区別する必要があり、式にはちゃんとした意味がある」ということを、ごりかいいただけたなら、「一つ分の大きさである5を後に書く場合4×5」ともかけると主張されても良いでしょう。
「交換法則がなりたつのに、順序を強制するのは不合理」という主張が、「誤り」だと認めるのであれば。
さらに、指導要領解説の次のページには、ちゃんと、「海外では、『掛け算の式を逆に表す値域もあるので、帰国子女に対しては、十分な入りをはらうこと」という記述があります。
ですので、これが、式の順序を
被乗数×乗数としている傍証になってると考えられます。
ですから、言葉にとらわれるのではなく、文章のつながりや、前後の記述にも注意を払っていただけると、誤解がなくなるのではないかなと思います。
少なくとも、指導要領解説で、「ミカンの数と皿の数」の区別を意識していると言うことはご了解いただけたと思います。
わざわざ、「一つ分の大きさである5を後に書く場合」という表現をなさっているわけですから。
2018年02月12日 12:23
のコメントに前もって書いている通りです。
このコメントは無視して、あたかも新事実のように書くのは失礼かと思いますが?
2018年02月17日 16:49 のコメントで触れた、
「指導要領解説の次のページ」
の、内容は、以下の通りです。
この記事とコメントで見たような内容が書かれていると思いませんか?
> なお、海外在住経験の長い児童などへの指導に当たっては,「4×100mリレー」
> のように,表す順序を日本と逆にする言語圏があることに留意する。
> ここで述べた被乗数と乗数の順序は,「一つ分の大きさの幾つ分かに当たる大
> きさを求める」という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にす
> べきことである。一方,乗法の計算の結果を求める場合には,交換法則を必要に
> 応じて活用し,被乗数と乗数を逆にして計算してもよい。
> 式を読み取る指導に際しては,例えば,3×5の式から,「プリンが3個ずつ
> 入ったパックが5パックあります。プリンは全部で何個ありますか。」という問
> 題をつくることができる。このとき,上で述べた被乗数と乗数の順序が,この場
> 面の表現において本質的な役割を果たしていることに注意が必要である。「プリ
> ンが5個ずつ入ったパックが3パックあります。プリンは全部で幾つあります
> か。」という場面との対置によって,被乗数と乗数の順序に関する約束が必要で
> あることやそのよさを児童に気付かせたい。
> 「被乗数と乗数を区別する必要があり、式にはちゃんとした意味がある」ということを、ごりかいいただけたなら、「一つ分の大きさである5を後に書く場合4×5」ともかけると主張されても良いでしょう。
なぜ?根拠は?
> 「被乗数と乗数を区別する必要があり、式にはちゃんとした意味がある」ということを、ごりかいいただけたなら、「一つ分の大きさである5を後に書く場合4×5」ともかけると主張されても良いでしょう。
はい、単に、「前と後ろを交換する」ではなくて、「一つ分の大きさである5(つまり、これが被乗数)を後ろに描く場合」t、「一つ分の大きさ」という概念を用いて表現されていると言うことは、「一つ分の大きさ」を示す数(繰り返しますが、こちらが、被乗数)」と、もう一方の数(こちらは、乗数)を区別するという意思表示としか思えませんから。
さらに、指導要領解説の 114ページを始めとして
> 乗法に関して乗数が1増えれば積は被乗数分だけ増える
という記述がいくつか見れます。
で、これは、「ペアノの公理から導出された乗算の定義」を言葉で言ったものであるというのにも、注意していください。
5を被乗数とすると式は
5×4でも4×5良いわけですね。
5を被乗数とすると式は
5×4でも4×5良いわけですね。
いいえ、さらに先のコメントで 示した通り「被乗数と乗数の順序は大切」と繰り返し書かれていること。
実際の式の説明では、「被乗数×乗数」に固定されていることで、被乗数と乗数の順序は固定されている通りです。
また、海外のように、「被乗数と乗数が逆」の場合を含めたしても、どちらかに固定する必要が示されていて、そのときの都合でどちらにしてもいいと書かれている訳ではありません。
「被乗数と乗数の順序は大切」とは、「順序は大切にすべき」という意味です。
先のコメントで書いたのは、指導要領解説にあるとおりなら「被乗数と乗数が入れ替わった式を正当化するためには、『被乗数を後ろに持って来る枠組みに統一』した場合の議論になるので、被乗数と乗数を区別した上で、それを入れ替えたのですね」という確認です。
これは、「文章題の式というのは、被乗数と乗数を区別して書くべきもので、単に交換法則が成り立つか、被乗数と乗数の順序を入れ替えるべきではない」という主張と矛盾しません。
繰り返しますが、指導要領解説には「被乗数と乗数の順序は大切」と書かれている通りです。
2018年02月12日 21:24 で示した「このように」の用法と同じで、
> 一つ分の大きさである5を先に書く場合5×4と表す。
も、「先に書く場合」ということだけを取り出すと、「逆の場合もありうる」と解釈できます。
が、これは、もちろん、「この場合の解釈でこの後の論を進めるという意味を含めます。
事実、このあと、指導要領解説では、
・(一つ分の大きさ)×(幾
つ分)=(幾つ分かに当たる大きさ)と捉えることができる。
※「捉えることができる」という表現は、その前の「このように(……いいかえると)」と含めて、先に書いたとおり。
・,倍を表す数を後に表す場合,「2mのテープの3倍の長さ」であれば2×3と表す。
・例えば,3×5の式から,「プリンが3個ずつ
入ったパックが5パックあります。プリンは全部で何個ありますか。」という問題をつくることができる。
しかも、この部分と同じ箇所に、「上で述べた被乗数と乗数の順序が,この場
面の表現において本質的な役割を果たしていることに注意が必要である。」とまで書かれていて、この順序に実際の記述は、固定されていることにも注意してください。
> 「被乗数と乗数を区別する必要があり、式にはちゃんとした意味がある」ということを、ごりかいいただけたなら、「一つ分の大きさである5を後に書く場合4×5」ともかけると主張されても良いでしょう。
では、これは嘘だったのですね。
「主張されても良いでしょう」とは書きましたが、それが、正しいとは一切書いていません。
文章は正しく読んでください。
で、その意図は、先のコメントの通り、
> 先のコメントで書いたのは、指導要領解説にあるとおりなら「被乗数と乗数が入れ替わった式を正当化するためには、『被乗数を後ろに持って来る枠組みに統一』した場合の議論になるので、被乗数と乗数を区別した上で、それを入れ替えたのですね」という確認です。
と書いています。
「一つ分の大きさ(つまり、被乗数)を後ろに書く場合」と、わざさざ、「一つ分の大きさ」と「そのいくつ分(つまり乗数)」を区別しているのですね? という確認です。
で、もうひとつ解説です。
なお、これ以降当方のコメントは、月曜日以降になります。
※単純に当方の都合です。
さて、指導要領解説の 114ページに、わざわざ、
> なお、海外在住経験の長い児童などへの指導に当たっては,「4×100mリレー」
のように,表す順序を日本と逆にする言語圏があることに留意する。
と書かれているとおり、世界まで目を向ければ、
5×4が、4+4+4+4+4を表す文化圏も存在します。
ですから、この記事で主張した、「5×4が5+5+5+5を表さない文化圏が存在する」言い換えれば、全世界的に、「5×4が5+5+5+5を表す」と言えば、確かに間違いです。
が、それは、「順序は大切」と矛盾しません。
2018年02月05日 10:51 のコメントで取り上げた例題を再録します。
問)ミカンが7個入った袋が、4袋有ります。ミカンは全部で何個でしょう?
問)ミカンが入った袋が、4袋有ります。一袋に、7個のミカンが入っているとしたら、ミカンは全部で何個でしょう?
日本においては、いずれも、被乗数×乗数で、7×4が正解。
これが、例えば、米国においては、いずれも、乗数×被乗数で、4×7が正解
となるだけです。
「被乗数と乗数の順序は大切」なので、この問題において、「どちらも正解」とはなりません。
その根拠は?
私の能力では、すめなりさんのコメントへの対応はできかねますので、今後は一切の対応を控えさせていただきます。
ここまでの議論は、あるがまま、ここにあります。
というのは、根拠があげられないということですね。
>> ・4+4+4+4+4
>> ・5×4
>せめて、
>5+5+5+5 で表すことが適切なので、5×4と表記すると書かれていることは理解してください。
これもなぎさんの都合の良い勝手な読み替えですね。
原文では「5個のまとまりをそのまま書き表す方が自然である」と
著者の主観でみかん5個を一つ分の大きさであるとしています。
その一つ分の大きさである5を先に書く場合が5×4として
例示されているに過ぎません。
当然、1つ分を4にするか5にするかは主観次第ですし、
5を先に書くか後に書くかも好み次第ですので、
この問題文から乗算表現として 5×4とするのも4×5とするのも
どちらも適切な表現形式です。
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/07/25/1387017_4_2.pdf
をあげていましたが、該当の指導要領は、2020年完全実施予定のもので、「現時点では」実施されてないのでは? というご指摘をいただきました。
実際、2018年3月の時点では、この指導要領解説による授業はされていないようです。
将来の方向性としては、この通りとしても、現時点では実施されてないということで、この点追記させていただきます。