2010年08月29日

「引用禁止」という誤解

今でも、「このコンテンツは著作権法で保護されています」という文言と、「無断引用禁止」という文言とがともに書かれている場面に出会うことがある。
しかしながら、この二つの言葉は(2010年時点の日本国内においては)両立するものではないというのが、この記事の趣旨である。

まず、「引用」という単語。
この言葉を、「部分的な転載」と解して使用していると思われる場面が多い。
実際に辞書を引いてみると、
「他人の説や文章を自分の説や文章の中に使うこと」(学研国語大辞典)
「自分の説のよりどころとして他の文章や事例または古人の語を引くこと」(広辞苑)
「自説を証明したり物事を詳しく説明したりするために、他人の文章・他の説・故事などを引いてくること」(明鏡国語辞典)
と、辞書の記載においても、単純な「部分的な転載」とは解釈されていないことがわかる。
つまりは、「引用」という言葉自体が誤解されて使われているのではないかということである。

さて、さらにいえば、著作権法には、(著作権法としての)引用も定義されている。
そして、著作権の制限のひとつとして、「引用は可能」とされているのである(32条)
著作権法における引用とは、概ね、
・自説の展開、または批判のために必須であり
・引用部分が従であり
・引用元が明示されている
という要件が必要とされている。逆に言えば、この要件を満たす引用を著作権は許しているわけである。

さて、著作権と引用の関係であるが、それを説明するためには著作権法の意図を知らなければならない。
著作権法第1条に、以下のような(目的)が定められている。
「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」

著作権法の目的は、「文化の発展に寄与する」ことであって、必ずしも著作権者の保護ではない。
文化の発展に必要だから、その手段として著作権を保護するとしているのである。
だからこそ、文化の発展を阻害する程度の著作権保護は行わない。故に、「著作権は制限される場合がある」のだ。

冒頭の「引用」は、この「著作権の制限」のひとつである。
言い換えれば、著作権法が「文化の発展に寄与する」という目的のために、「引用は認められるべき」としているのである。
だから、「引用」を禁止するということは、「引用」という言葉を正しく理解していないと表明することになるのか、あるいは、(著作権を保護して欲しいといいつつ)著作権法の理念を無視しているか、いずれにしても、正しい主張ではないということである。
posted by 麻野なぎ at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権の周辺

2010年08月03日

著作権の自動発生と、著作権登録制度

2010年現在、日本では(そして他の多くの国でも)著作権は著作と同時に「自然発生する」と考えられている。
一方で、「ちゃんとした」著作権の登録制度も存在している。ついでに言えば、ちゃんとしていない著作権の登録も、一部の団体で勝手に行われている。

では、自然発生するという著作権に、登録制度が存在するのはなぜだろうか?
それは、著作権が「譲渡可能」なものであることを最大の理由としている。
しばらく前、「著作権の保護期間延長」が問題になったことがある。これを書いている時点では、ひとまず、延長しないという方向にはなったが、このときに、「著作者と著作権者は異なるということを意識して議論しなければならない」という話を聞いたことがある。

実際、「お金になる」ような著作権は、多くは、何とか事務所に譲渡されており、著作者といえども自由に複製できない(著作権者ではないから)という状況だったりする。
この場合、「誰が著作権者か」を明示するために、(ちゃんとした)著作権の登録制度は有用なのである。

さて、問題になるのは、一部民間で行われている、「ちゃんとしていない」著作権登録である。
セールスポイントは、「著作権登録であなたのアイディアを保護しましょう」ということらしいけれど、どうやら、自分が書いた図面やら(アイディアの)説明文やらを、「登録」して、「保護しよう」ということらしい。
しかしながら、著作権ではアイディアは保護されない。確かに、その図面や説明文と「全く同じもの」を作れば、著作権の侵害になる場合もある。けれど、アイディアを表現するのに、全く同じ文面は不要であろう。

これだけの話であれば、単に、「役に立たない」というレベルで終わるのだが、著作権として考えれば、もうひとつ別の問題がある。
要するに著作権の侵害とは、「勝手に複製を作ってはいけない」ということである。
だから、オリジナルの存在を知らずにたまたま同じものを(または類似のものを)作ってしまった……という場合、著作権の侵害とはならないのである。

これは、「依拠性」という概念であり、ちょっと探すと、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 事件(昭和53年9月7日・最高裁)」が判例として出てきたりする。
だから、アイディアを保護するために、著作権の登録をしてみたところで、もしも、その図面なり説明文なりを、公開せずに後生大事にしまっておけば、たとえ類似のアイディアが出現しても、「そんなもの(=オリジナル)は、見る機会などなかった。それにアクセスすることなどできなかった」と言われてしまえば、少なくとも、著作権の侵害はいえなくなってしまう。

たとえ、著作権登録を行ったとして、「盗まれないように誰にも見せずにしまっておく」という運用を勧めていたとしたら、それは、著作権侵害という主張を不可能にしてしまうという、ことでもあるのだ。
つまり、著作権の侵害(=無断複製)を主張するためには、逆説的ではあるが、「誰もが見ようと思えば見られる」という状況に置くということが必要なのである。

著作権の場合、たとえ、同じものができたとしても、「知らなかった(それを見る手段がなかった)」と証明できれば、著作権の侵害には当たらない。
一方で、特許の場合、特許は必ず公開されるので、「知らなかった」が通用しない世界ではある。
posted by 麻野なぎ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権の周辺