2015年09月14日

すごいおいしいスイーツ(?)

以前からといえば言えるけれど、「すごい」という言葉が、間違って使われるケースが多い気がする。
「すごい」というのが、元来は「恐ろしい」という意味で……と、ここで言うつもりはないのだけれど、「すごいおいしいスイーツ」はだめだね、と思う。

文法的にいえば、「すごい」は形容詞で、「すごい」という形をとるのは、終止形か連体形である。
「おいしい」(形容詞)という用言は、「連用形」である、「すごく」を採るべきだということになる。

だから、「すごくおいしいスイーツ」は正解。
「すごいおいしいスイーツ」は、「おいしい」を強調しているのなら間違い。
ただ、「すごい」は、終止形でもあるので、「すごい! おいしいスイーツ!」なら、OK。
この場合、「すごい」で切れているので。

これは、たとえば、
「すごい人が来た」と「すごく人が来た」の相違でもある。
「すごい人が来た」の「すごい」は連体形なので、「人」を修飾する。
人はたった一人かもしれないけれど、その人自身がすごいのである。
「すごく人が来た」の「すごく」は連用形なので、「来た」を修飾する。
一人一人は普通の人かもしれないが、とにかく、大量に来たのである。

言葉は生き物だという意見もあるし、文法なんて所詮後付けという意見もある。
この意見は、いずれも正しいと思う。
ただ、後付けで文法ができているのは、そのように一般化できるほど、言葉を話す人のセンスが共通化できている(できていた?)ということを意味している。
少なくとも「すごいおいしいスイーツ」には、「なんか変だな?」と感じて欲しい気がする。文法的な説明なんて、無視しても良いから。

posted by 麻野なぎ at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感・ことば

2015年06月24日

「月のもの」の周期と、「月の」周期

さて、現在、女性の生理の周期は、「平均して28日」であると言われている。
これが、一部では、「月の満ち欠けの周期と一致している」と誤解されているらしい。

いくつかのサイトでは、「生理の周期は平均28日」という説明と共に、例えば、「満月に生理を迎えると云々」という解説すら見かけた。

が、月の(朔望の)平均周期は、29.5 である。
というわけで、28日周期で見ると、月齢にして約1.5ずつ前にずれることになる。

実際に 2015年〜2019年の「28日ごと」の月齢と月相を計算するとこのようになる。
28日ごとの月齢.png
※月相という数字は、月の形を正確に反映する数字です。
 0 = 新月、7 = 上弦、14 = 望、21 = 下弦
 月齢と月の形の関係は、少しずれます(しかもばらつきます)。

 このように、2015/07/16 には、新月を迎え、2016/03/24 にはほぼ満月になる。
 これが、28日周期で見た実体である。

 ただ、1周期では、1日ほどしかずれないので、「生理の周期は月の周期と同じ」と言われれば、日々の暮らしの中では、気づきにくいということは確かにあると思う。

2015年06月21日

新gTLD を受け入れないサービス

2015/08/05 追記。
本日の段階で、「わたしムーブ」は、.blue のメールアドレスを受け入れてくれるようになりました。

------------------------ 追記ここまで -----------------


先に書いたように、昨年7月頃に、axis.blue というドメインを取得した。
既に大量に登録されている、いわゆる、「新gTLD」のひとつ、.blue に登録したのである。

この時、「あるいは、.blue に対応していないサービスもあるかもしれな」とは思っていた。
実際、2003年に、.name のドメインを取得した際、いくつかのサービスで、.name で終わるメールアドレスは拒否されたからだ。
しかし、当時でも、「.name のアドレスが登録できません」とサポートに連絡すると、数日以内には対応できていたので、あまり心配はしていなかった。

ところが……。

「わたしムーブ」というサービスがある。
http://www.watashi-move.jp/

身体の様々なデータを登録して、生活習慣の改善に役立てようというそういうサービスである。
以前から使用していて、このサービスも、登録したメールアドレスを変更しようとした。
すると、
axis.png
「メールアドレスに誤りがあります。もう一度入力してください」
と、こういうメッセージを出したまま、次に進めない(もちろん、メールアドレスの再入力は可能)
一応、入力したアドレスに間違いないことを確認して、「新gTLDに対応できていないのでは?」とサポートに連絡すると、「そのとおり」という回答があった。

で、結論から言えば、改善するつもりはないらしい。事実、それから一年近くたった、今日(2015年6月)も改善はされていない。

せめて、「ごめんなさい、新gTDLには対応できていません」というエラーメッセージなら、わかる。
それが、「メールアドレスに誤りがあります」とは。
せめて、「どういう点で誤りと判断したか」という情報は必要であろう。

ちなみに、インターネット上で正しく、到達性のあるメールアドレスを「誤り」と判断されたので、こういうメールアドレスを登録してみた。
exam.png
こういうのを「誤り」とは、判断しないで、正しいメールアドレスを「誤り」と決めつけるとは。
しかも、一年以上の放置のままとは。

とほほ……。

まあ、新gTDLのアドレスを全部集めても、全体の数%にしかならない(もっと少ないか?)のは、事実であろう。しかし、一方で、「普通の人」に、.blue で終わるアドレスを示して、「なんですかそれ? 間違ってないですか?」と言われたことはない。
「メールアドレスなんて、単なる文字列」というのが、正直な感覚かもしれない。
が、それならそれで、自分のメールアドレスを登録しようとして、「メールアドレスに誤りがあります」と断言されて、途方に暮れるケースはあるのではないかなと思う次第である。
posted by 麻野なぎ at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2015年04月04日

C++ Builder の TDateTime が、1989年12月30日から経過日数なのは?

最近、様々な時刻表現を表示するプログラムを作って遊んでいました。
その中で、C++Builder の TDateTime と、Excel の(時刻)シリアル値が、実は同じ数値になるのを発見して、喜んでいたりということをしていました。

でも、「本当にそう?」とドキュメントを調べてみると、

TDateTime : 1989年12月30日からの経過日数
Excelのシリアル値 : 1900年1月1日を「1」とした日数

ということで、本来違うはずです。
普通に解釈すると、TDateTime の内部表現と、Excelのシリアル値は、1日ずれるはず。
でも、実際に表示している数字は同じ。

で、まずは、実験してみました。
0 を入力すると 1989/12/30 vs 1900/1/0 (おい?)で、確かに違う。
1 : 1989/12/31 vs 1900/1/1
2 : 1900/1/1 vs 1900/1/2
100 : 1900/4/9 で、「同じ」

実は、ここで、見当がつきました。
1900年は閏年じゃないけど、Excleは閏年で処理をしている。

そのあたりをついてみると、

59 : 1900/2/27 vs 1900/2/28 相違
60 : 1900/2/28 vs 1900/2/29 相違……というか、1900/2/29 は存在しない日付。
61 : 1900/3/1 で「同じ」

ということで、Excel まさかのバグ? と思ったら、この話(Excel が 1900年を閏年にしていること)は、結構有名な話のようでした。
「Excel 1900年」などで検索すると、関連する情報がいろいろ出てきます。

ということで、C++Builder の、一見中途半端な、1899年12月30日 という起点は、Excel のシリアル値と同じになるように設定して、なおかつ、「正しく」仕様を記述した結果ということかもしれません。
posted by 麻野なぎ at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2014年09月08日

私にとってのドメイン

この記事は、まさに、雑感という内容になります。
とまれ、この記事を書くきっかけになったのは、(少々古い話ですが)「ドメインを整理しよう」と思い立ったことです。
もともと、本名に対応した、keiichi.fujiwara.name というドメインと、ペンネームに対応した、nagi.asano.name というドメイン(と、あと、いくつか)を持っており、メインのWeb は、こちらのドメインで運用していました。
このドメインを廃止して、axis.blue というドメインに統一して、Webのほうもそれで運用しよう。ついでに、このブログも、http://koko.axis.blue/ というドメインを割り当てました。

個人的には、かなり大きな変化になりますので、まあ、ドメインに関していいろいろと思うところを書いてみようと思い立ったわけです。

さて、インターネットというものと関わり始めた(単なるユーザーですけど)のは、1995年頃になります。
ちょうど、Windows 95 が出て、インターネットなるものが騒がれ始めた、ちょうどその頃です。
この頃、運用面ではほとんど知識が無かった頃ですが、メールアドレスにしても、Webのアドレスにしても、「プロバイダからの借り物」を使うしか選択肢がありませんでした(私にとっては……以下、同じ)

ただ、Webのアドレスは、致し方ないものの、その頃既に、いくつかの「メール転送サービス」が存在していました。
アドレスをひとつもらって、そのアドレス宛のメールを、別のメールアドレスに転送してくれるというものです。
これを使うと、見かけ上、「プロバイダのものではないメールアドレス」を持つことができます。

私にとって、「プロバイダのものではないメールアドレス」は、あこがれでして、といっても、「ドメインを取得して云々」という運用知識も無い状態で、これは、願ってもないものでした。
その中のひとつに、qua.net というサービスがありました。
メールアドレスとして使うと、(たとえば)nagi@qua.net となって、(@ を a と読み替えることで)アクア・ネット と称していました。
類似のサービスよりも、名前がスマートでして、大枚千円/年(おいおい)の料金を払って、使用していました。

が、「プロバイダを変えても、メールアドレスはそのまま」だったはずが、数年でサービス中止という事態に。
私自身、この、nagi@qua.net を、ほぼメインで使っていたので、かなり焦りました。ま、結局そんなに大きな問題は起こさなかったのですが。
実際、しばらくして、qua.net が、ドメインとして存在しなくなっているのを確認しました。

今なら、つかさず、qua.net を取得するのですが、当時は、そういう知識も無く……今思うと、悔やまれてなりません。
※2104年9月時点、qua.net は、ドメインとして存在しています。

さて、それからも、「プロバイダと関係ないメールアドレスが欲しい」という欲求を抱えつつ、でも、決定打も無いまま、数年が過ぎました。
そのとき、.name ドメインというものが降って湧いたのです。
この時点でも、ドメインを取得して運用するという知識は無かったのですが、.name ドメインは、「転送メールアドレスがおまけでついてくる」というシステムでした。
上述したように、nagi.asano.name というドメインを取得したので、nagi@asano.name という転送アドレスがおまけでついてくるわけです。
※これも、実際には、「漏れなくついてくる」というわけではなく、取得をお願いしたレジストラによっては、「転送メールはなし」というケースもあります。

これは朗報でした。
とにかく、「プロバイダに関係ないメールアドレス」が持てるのです。しかも、今回は、永続性があると思って良いでしょう。
しかも、.name というドメインは、お手軽に持てるので、これからどんどん広まります(これ、今となっては事実と違う)今のうちに(2002年頃)取得しておこう。
これが、.name ドメインとの出会で、そのまま今に至るわけであります。

ただ、この時点では、転送メールの設定はできても、http://nagi.asano.name/ で、自分の Webを表示すると言うことはできませんでした。

さらに時は流れ、ふとしたきっかけで、「ロリポップでWebを開設する」ということをお手伝いすることになりました。
それ自体は難しいものではないですし、無事に開設までたどり着いたのですが、この時初めて、「nagi.asano.name でWebを運営するのは、実は簡単」と気づいたのでした。
結局、もう少しいろいろあって、(ロリポップではなく)現在の、さくらインターネットで、Webを開設し、nagi.asano.name でアクセスできるようになったと言うことです。

さて、そうなると、「qua.netを取得して、メールアドレスとして使うことができる」と気づきます。
気づきますが、qua.net は既に取得されていて、どうも、(私が)取得するのは困難です。
それでも、「もしかして、失効していない?」と、たまに調べていました。

と、今回、.blue という(それ以外にも多数)トップレベルドメインが使用可能になったという情報が。
今なら、(qua.net はだめでも)qua.blue はとれるのでは? と思ったのが運の尽き。
なぜか、気づいたその日には取得できず(商標申請のデータベースがおかしかったらしい)、その夜に、勢いで、axis.blue を取得してしまいました。
(その後、qua.blue も取得した)

で、勢いでとったものの、
・ドメインの運用コストがかさむなぁとか、
・今のままでも、メールアドレスとか、URL とか間に合っているのに、axis.blue とか、qua.blue とか何に使うの?
という、「そもそも取得する前に考えろよ」という問題にぶち当たったのでありました。

で、一晩悩んだ後、「あ、そもそも、axis.blue でドメイン統一しよう。.name って、あんまり広まらなかったし、(特に転送メールサービス込みだと)ドメインの維持費高いし」ということで、上述したように、.name 廃止、axis.blue で統一(あと、qua.blue は、家族のメールアドレス用に使用)ということでおちついたという次第でした。

おまけ、最近思うこと ever.green って、良いかもしれない。
posted by 麻野なぎ at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2014年05月10日

ご飯一杯が角砂糖14個分でもいいじゃないかい?

最近、炭水化物が目の敵にされている節がある。
そして、炭水化物の重量をもとに、「××には、角砂糖××分のカロリーが」云々という話もよく見かける。

はては、ご飯には角砂糖14個(諸説あったりするのが何とも)が「含まれる」ていて、まるで、カロリーの塊ダイエットの大敵という話にまで膨らんでいる。
確かに、角砂糖14個が並んでいると、ちょっと困るかもしれない。これは、「大袈裟な数字を出して、主張を際立たせる」というよくある手法ではあるが。

ただ、考えなければならないのは、カロリーも炭水化物も、過剰摂取は害になっても、本来必要なものであるという点である。
たとえば、ダイエットが気になりそうな、18-29歳女性の、平均的な基礎代謝は 1120kcal であり、「静的な生活をしている」場合は、その1.5倍の、1680kcal が平均的な1日の所要カロリーとされる。
https://www.med.or.jp/forest/health/eat/01.html
(日本医師会)

さて、角砂糖のカロリーは387kcal/100g ということである( http://slism.jp/calorie/103008/ カロリーSlism)
だから、上記「静的な生活をしている18-29歳女性」の1日所要カロリーをまかなうためには、1680÷387×100=434g が必要になる。
ということで、1個4g の角砂糖が 108.5個必要ということになる。

もともと「ご飯」というのは、主食であり、一日の所要エネルギーを確保するためのものである。
角砂糖108.5個をまかなうために、14個分のカロリーを3回(+状況によりおかわり)採るのがどれほどの問題なのだろうか?

ご飯は角砂糖換算14個で驚く前に、そもそも、一日に角砂糖108個分のカロリーが必要だというのを認識する必要があるということだろう。

もっとも、「甘い」清涼飲料も、カロリー換算で、14個くらいの角砂糖が含まれるということになる(500ml のコーラなど)
これなど、確かに、8本で一日の所要カロリーを突破してしまう。
その意味では(そもそも、こちらは嗜好品なのだから)清涼飲料水の飲み過ぎには注意しましょうということになる。

ただ、こちらも、角砂糖14個で驚くのではなく、単に、所要カロリーが2000kcal も必要ないのに、252kcal(コカコーラ 500ml)ものカロリーを、8本分も飲んだらアウトというだけのことなのだが。

posted by 麻野なぎ at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2014年01月26日

Twitter API に HTTPS でアクセスする(ただし、C++Builder + Indy)

さて、2014年1月15日から、Twitter API のアクセスが、HTTPS 限定となりました。
「節気さんシリーズ」は、ながらく、HTTP であくせすしてていたので、この時、全面的にBotが停止するという事態に陥ったわけであります。

ちかいうちに、そうなりそうだなという話は聞いていたのですが、HTTPS への対応が分からなかったので、「見て見ぬふり」をしていたら、いきなり、痛い目に遭ったという、そういう構図です。

実際に止まってしまったので、あわてて対応方法法を調べます。
基本的なこところは、
http://www.gesource.jp/programming/bcb/45.html
で、判明。
C++Builder についてくる、Indy ライブラリを使えば、SSL で、POST は、容易に実現できそう。
特に、従来、TCPClient でオープンして、レスポンスをパーシングして、

ちょっと安心して、これまで作っていた、OAuth データを、「POSTパラメータ」にぶちこんで、POST するも、失敗。
なぜだろうかと、数日悩んだ結果、答は、
http://d.hatena.ne.jp/mole-studio/20130816/1376676005
にありました。

OAuth ヘッダは、Request.CustomHeaders にセットして、
パラメータのみ、(POST の引数としてわたす)パラメータにセットすれば、OKでした。

この段階で、ツイートには成功しました。
ただ、もうひとつの機能である、「アイコンの差し替え」は対応できていません。

Botの動作は、「OAuth ヘッダを送って、認証した後、アイコンファイルを、マルチ-パートの扱いで直接送信」でしたので、Indey ライブラリを使った、ファイルのアップロードを試すも失敗。
ここで、もう一度、Twitte API の仕様を確認すると、「アイコンファイルは、Base64でエンコードした後、image= につづけて、パラメータとして送信すること」という内容を見つけました。

Base64でエンコードするの処理が追加で必要になるものの、POSTの処理自体は、ツイートと同じなので、楽勝――のはずが、これまた失敗。

悩むこと数日、答がひらめきました。
OAuth ヘッダ(のための、Base String)を作る際に、関連するヘッダは、「アルファベット順に並べる」訳ですが、ツイートの際のパラメータは、status = で、「たまたま」一番最後でした。
この処理を使ったので、アイコン送信の際のパラメータである、image = も「最後」においたわけです。
そもそも、「ヘッダはアルファベット順」でしたが、「ヘッダの後にパラメータ」ということで。
(ちなみに、Twitter サイトの説明もこの順番だった)

でも、image は、「アルファベット順」だと、最初だったのですね。
順番を入れ替えて、Base String をつくり、OAuth ヘッダを作ることで、無事に処理が成功しました。

1週間半。長い戦いでした。

posted by 麻野なぎ at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter と Bot の周辺

2013年06月19日

ATOK の辞書引き、そして感太

ATOKは、様々な「専用」電子辞書を用意している。これらの辞書は、ATOKがなければ、使えないし、文字入力中でなければ、検索もできない。
本来、ATOKの変換動作を経由した、入力時に気楽に(意味などを)調べられるという用途で提供されているもので、その意図からすれば、それは納得のいくものではある。

ところで、一太郎には、「ソプラウインドウ」という機能がある。本来、これも一太郎の文書にある語句なり文なりを、外部とやりとりするためのアプリケーションらしい。
このアプリケーションに、「辞書引き」という機能があり、これを経由して、ATOK辞書を引くことができる。
(ただし、ATOKは必要です)

ソプラ.jpg
※ WikiPedia も検索可能です。


私はこれを、「一太郎2013玄」の体験版を通じて知ったわけであるが、昨日、「体験版」は使用期限を迎え、現在使用不能の状態である。
ところが、ソプラウインドウは、単独で使用可能な状態にある。
一太郎(体験版)をアンインストールした状態で、ソプラウインドウを使用するのは、一筋縄ではいかないようだ。
というわけで、(既に使えなくなった)一太郎を丸ごと残しながら、ATOKの辞書引きができるという状態になっている。
これはこれでおもしろいと思う。
(というか、ATOKに付属させてほしいアプリケーションではある)

ソプラウインドウの場所
C:\Program Files (x86)\JustSystems\SOPLA\JSSOPLA.EXE (64bit)
C:\Program Files\JustSystems\SOPLA\JSSOPLA.EXE (32bit)

ついでに、「感太」である。
「感太」の評判はどうも芳しくはないようだ。
しかし、私はかなり気に入っている。
※感太単体で、1,000円前後だったら、間違いなく買っている。

写真付きで「言葉」が並ぶ様子は、辞書を拾い読みするのに似た楽しみがある。
そして、これも、一太郎体験版が使えなくなった後も、単独で動くようだ。
(ただし、もともとが体験版なので、写真は解像度が低めの、JustSystem のすかし入りではあある)

感太の場所
C:\Program Files (x86)\Common Files\Justsystem\Kanta\JSKANTA.EXE (64bit)
C:\Program Files\Common Files\Justsystem\Kanta\JSKANTA.EXE (32bit)

ただ、単独で動かした、「感太」には大きな制約がある。
ソプラウインドウとの連携ができないのである。
具体的には、「感太」の「辞書引き」機能は使用できない。
(もちろん、ソプラウインドウに、自分で言葉を入力すれば、辞書引き可能)

「一太郎2013玄」自体は、かなり良いと思った。
特に、文章を練りながら作っていくには、雰囲気が良い気がする。
が、私が使用しているメインマシン(ATOM 1.6G だったりする)では、動作が重すぎた。
なので、今回購入は断念した次第である。
posted by 麻野なぎ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年05月07日

ロジクールのキーボード K810 を使う

さて、少し前にロジクールのキーボード K810を購入したわけです。
私としては、お気に入りな訳ですが、実際に使っている方のコメントでは、少し異なる意見も見られるようです。
そこで、2点ほど、特徴的な部分を書いてみようと思います。

【キーの感触について】

もともと、「薄型」の「パンタグラフ」タイプのキーボードなわけで、キーの感触については、賛否両論といった感じがします。
実際、例えば、「感触」では、絶賛されている東プレのREALFORCEシリーズ
http://www.topre.co.jp/products/comp/
と比較すると、これは、「考え方が違う」という程度に、方向性から異なります。

従って、上記のキーボードに慣れた方がK810を使うと、少なくとも違和感を持つと思います。

東プレのキーボードは、「軽い感触」で「ロングストローク(3.8mm)」のキーボードで、高速でしかも、ラフにタイプしても、指にストレスがかからないというタイプです。
また、キーの全ストロークでキーを押す力の変化が少なく、いわば「空気を押している」ような感触のキーボードです。

一方で、K810は、これに比べると「重く」「押す力の変化が大きく(いわゆる、明確なクリック感)」「ショートストローク(2mm)」のキーボードです。

このタイプのキーボードが出現した頃は、省スペースのために仕方なく作られたものというイメージが確かにありました。
が、一方で、明確なクリック感とショートストロークは、「指を動かす距離が少ない」ということを意味していて、これまた、高速タイピングが可能です。
(が、こちらのタイプは、クリックを感じると同時に(底突きすることなく)キーを離すという、ある意味、丁寧なタイピングが必要です)

私などは、指を動かす距離が長いキーボードに疲労を感じ始めたので、このショートストロークタイプのキーボードがお気に入りというわけです。

【K810にはチルドスタンドがない】

実は、ロジクールは、「チルトスタンドを省略した」のではなく、「敢えてつけなかった」ようなのです。
http://www.logicool.co.jp/ja-jp/products/keyboards/articles/5923
では、Zero Degree Tilt と称して、「フラットなキーボードが good 」と主張しています。

以前は、必ずチルトスタンドを立ててキーボードを使っていたのですが、これも、かなり短期間に慣れました。
で、しばらく使っているうちに、おもしろいことに気づいたのでした。

わたしはタッチタイプができます。
そして、タッチタイプの「基本」は、「ホームポジション」(asdf と jkl:)に4本の指を置いて、目的のキーを打つ指だけが、ホームポジションから離れるということになっています。
が、どうやら、現在では私の指は、2列目と3列目(qwer の列と asdf の列)の間にあって、(キーを打つ指だけではなく)一斉にキーボードの上を動いていることがわかりました。

この動きは、確かに、「薄型」かつ「平坦」なキーボードでなければできない動きです。
また、この特徴を持つキーボードだと、確かに、チルトがない状態で快適にタイピングできることに気づいたわけです。

以上、2点ほど気づくところを書いてみました。
posted by 麻野なぎ at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 周辺機器のあれこれ

「月の森のカミ」と「あかぎれ多弥太」

上橋菜穂子の『月の森に、カミよ眠れ』を読んだ。
 解説で、武田静澄氏の『日本伝説集』にある「あかぎれ多弥太」伝説に触れられており、これが、物語の発端となっているらしき記載がある。
 ところが、「あかぎれ多弥太」自体には、たどり着けないようだ。

 まず、武田静澄著『日本伝説集』(現代教養文庫 昭和51年 初版第17刷)より、引用する。

---------------- 引用開始

あかぎれ多弥太

 祖母山という山は、日向、豊後、肥後の三国にまたがる高山であるが、そのふもとの塩田というところに、塩田の太夫という長者が住んでいた。長者には、花のみもとという涼しいひとみをもった美しい娘がいた。花のみもとは、やがて年頃になった。が、ふるような縁談にも耳をかさず、秘蔵の玉といつくしんだ。
 いつの頃からか知れないが、明るい月夜になると、横笛のさえた音が高い。空に反響した。だれの手すさびかと、そっとうかがってみると、昼のように明るい白い道を、身分ありげなひとりの若ものが歩いていた。いいようもない優れた笛のぬしは、その若ものだった。なおもあとをつけてゆくと、若ものは長者のいかめしい塀をこえて、庭の奥へしのびこんでいった。
 村人のうわさ話は、じきに両親の耳にはいった。母親はみもとをよんだ。「お前は、親の知らない男としたしくしているというではないか。その若ものというのは、いったいどこの人です」
 いくら問いただされても、若ものの氏素性を知らないみもとは、答えることはできなかった。母親はみもとにいいつけて、そっと若ものの着物の襟に、糸のついた針をつきささせた。
 若ものはそれともしらずに、明けがたが近づくと、どこへともなく帰っていった。翌朝、塩田の長者は力じまんの村人を大ぜいつれて、糸をたどって追っていった。その糸は野をこえ、山をこえ、どこまでもつづいていた。ついに一同は、日向と豊後と肥後の境にある祖母山のふもとまでたどりついた。糸のさきは、とある岩穴の中へ入って消えていた。ふしぎなこともあるものだ――人々が岩穴の前に立ちどまって思いまどっていると、穴の中からはぶきみなうめき声が聞こえてきた。さすがの屈強な男たちも、あまりの恐ろしさに、顔を見あわせるばかりで、だれひとり進んで穴に入ろうとするものはいなかった。
 そのとき、一行のあとからついてきた花のみもとが進みでた。
「苦しそうにしていらっしゃるのは、どなたでしょうか」
「そういう声はみもとか。‘昨夜、わたしはのどに針をたてられた。このままではやがて死ぬほかはないが、その前に、ひとめなりとそなたの顔をみたいものだ」
「わたくしもお会いしとうございます。たとえ、どのようなお姿であろうと、恐ろしいとは思いません。どうぞお姿をみせてください」
 岩穴の中からは、一そう苦しいうめき声がひびいてきた。と、はげしい地ひびきがして、暗い奥の方からあらわれたのは大蛇だった。
 みもとが大蛇の咽の針をぬいてやると、大蛇はみもとに向かって、
「わたしは祖母山のぬしだ。そちはやがてわたしの子を生むが、その子は、成人ののち九州随一の勇士になるはずじゃ」
 といって、まもなく息絶えた’
 みもとは大蛇が予言したとおり、月みちて男の子を生み落とした。子どもは成長するにしたがい、体格も大きく、力も強い少年になった。ふしぎなことに、この少年は夏でもあかぎれがあったので、人々はあかぎれの童子とよんだ。
成人すると、あかぎれ多弥太と名のった。そして祖母山のぬしのお告げのような勇士になった。多弥太五代目の孫に、尾形三郎という源氏の勇士がいたが、三郎のからだにはうろこがあったということである。

 (宮崎県西臼杵郡 祖母山)

---------------- 引用終わり

内容は、『月の森――』の、ホウズキノヒメを彷彿とさせる物語である。
また、伝説の多弥太を、タヤタとして登場させたものと思われる。

ただ、夏でもあかぎれがあったという、あかぎれ多弥太が、勇士となり、その子孫が、尾形三郎という著名な人物にまでつながったというのは、タヤタとはいささか趣が異なる。
さて、「尾形三郎(あるいは、緒方三郎)」という名前までたどり着くと、これはまた、種々の物語に到達できる。

http://www.miyagin.co.jp/pleasure/0103.html
http://www.d-b.ne.jp/siga/panora/ogata/ogatagawa.html

など。

いずれしても、尾形(緒方)三郎も、平家物語にもうたわれながら、義経と共に都落ちをはかりながら、捕まって流罪になるなど、なぜかうら悲しいさだめを感じさせるものと思う。

それでも、尾形三郎にいたる、多弥太の系図を考えるとき、これは、明らかにタヤタとは異なる物語につながっている。
多弥太の子孫は、人の中に残ったのだし、そうでなくても、都で魔物を退治したナガタチの立場だろう。
この意味で、あかぎれ多弥太の伝説が、『月の森――』のベースであるとか、モチーフになったというのは、適切ではない気がする。もちろん、重要な「きっかけ」であったとしても。

さらに、きどのりこ氏の解説で、「祖母山に伝わるほんの数行の伝説から」と書かれている。
出典も示されているわけだし、「ほんの数行の伝説」と言い切るのも、それは、適切ではない気がする。

さて、本編に戻ろう。
この物語は、「稲を作ろうとすると、〈かなめの沼〉意外に場所がなかった」という意識が下敷きになっている。
しかし、もうひとつの大きな要素は、キシメの畏れであった。
終盤でキシメ自身がこのことに気づいている。そして、「いちども、〈かなめの沼〉にふれずにムラが生きのびる道を、タヤタと語りあおうともおもいつかなかったのだ」とその心情を吐露している。

タヤタと(なりゆきではあったが)ナガタチという並外れた力士がそろっているのだ。本当に、〈かなめの沼〉いがいに稲作をする道はなかったのだろうか?

これは、ホウズキノヒメが「〈かなめの沼〉には手を触れてはならない」としながらも、(この秋という限定ではあっても)月の森に立ち入ることを許したのと――その、「カミ」との結びつきの強さの差なのだと思う。

もちろん、キシメがカミへの畏れを克服できなかったのは、若すぎるカミンマ故だったのか、律令に覆われ始めた時代世故なのか、それは、考えるべき点だとは思う。

最期に。
日本史の知識として、公地公民や口分田、班田収受は知っていた。
しかし、本書にこういう一節がある。
「郡司さまなど大きなクニの長たちは、朝廷に従うたとはいえ、おのれのクニはおのれのものだと思われていた……」
そう、それは、確かに、自らの持っていた土地を朝廷にさしだした(奪われた)ということだったのだ。
かつて、大化の改新―大宝律令―班田収受の法 という歴史の流れを学んだとき、幸福な国へのステップを踏んだように思った。しかし、その印象を、「おれたちのクニ」が「おれたちのもの」ではなくなった時なのだと思うと、別の感慨が浮かぶのである。
posted by 麻野なぎ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感