2011年04月13日

日本人は「人に迷惑をかけるな」といい、インド人は「自分も迷惑をかけているのだから」という

さて、時々こんな話を見かけることがある。

> 日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは、
> 「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげな
> さい」と教えるそう。

ここでは、本当にこう言われているのかを検証するというのではなくて、こういう場合に陥りがちな、「定義の問題」を挙げる。
一見すると、「迷惑」という同じものに対する、日本とインドの認識の差に見える。(インドでこう言われているというのが正しいとして)
しかし、ここに、「同じ言葉が必ずしも同じ事を意味しない」という落とし穴がある。

「人に迷惑をかけてはいけない」
こう言われた場合、具体的に何を思うだろうか?

・約束を破ってはいけない。
・自分のミスを人に押しつけてはいけない。
・待ち合わせをすっぽかしてはいけない。

私であれば、こんなことを思い浮かべる。

一方で、「私たちは生きているということ自体、他人(もっといえば、地球)に迷惑を変えるということなのだ」という発想は、最近では、そんなに珍しいものではない。
この場合の、「迷惑をかけている」というのはどういうことだろうか?

・他の人の労働 etc. がもとになって、生活が可能なのだ。
・一見、快適な生活をすることが、地球には環境負荷をかけている。
・お互い様

このあたりになると思う。

ようるすに、「他人に迷惑をかけるな」ということと、「生きていく上で、周りに迷惑をかけざるを得ない」ということは、同じ「迷惑」という言葉でありながら、意味しているところが異なる。

これが、定義の問題である。
つまりは、日本人は……、インド人は……と、一見異なる意見が並んでいるようで、(少なくともこれを読んだ日本人の感覚としては)

・本来かけなくていい迷惑はかけるな
・でも、どんな形であれ、生きていく上で誰かに迷惑がかかっているのは忘れるな。

と語っているだけで、矛盾する考え方ではないのである。

実際、この言葉を受けて、「インドの考え方の方が安らぐ」というコメントも見かけるが、「迷惑をかけるな」という、迷惑を具体的に考えた上でも、そう判断できるのだろうか。
あるいは、そもそも、無理強いをする口実として、「迷惑をかけるな」といわれるのを、「日本人の意識の問題」にすり替えているのではないか、ふと、そう思った次第である。

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さて、考えるべきはそれだけだろうか?

実は、日本人は、「人に迷惑をかけるな」という。こちらのほうは、その後が省略されている。
私たちは、「人に迷惑をかけるな。人の迷惑も許すな」と、本当に教わってきただろうか?
少なくとも私は、「人に迷惑をかけるな。でも、他人の迷惑は気にするな」と教わってきた。

出だしの部分で、一見して立場が異なる二つの文章を並べ、一方は後半の部分を隠す。
こうすることで、後半の部分も異なる意見なのだという先入観が忍び込むことになる。
posted by 麻野なぎ at 12:46| Comment(13) | TrackBack(0) | 雑感・ことば

2011年02月18日

雨水に雛人形を飾るという説

さて、この記事の趣旨はどちらかというと、雨水に雛人形を飾るという「古くからの言い伝え」は存在しないのではないか。
少なくとも、現在の暦を使わなければ、あまり実情に合わないというそういう主張であります。

まず、「雨水」といえば、二十四節気のひとつです。時々、「旧暦はいいよ、二十四節気なんかあって季節感が……」という言葉も見かけますが、本質的に二十四節気は現在の太陽暦との整合性がよくできています。
旧暦は月の満ち欠けによって日付を決めるというものですが、これだけですと、季節と暦がずれてきます。季節というのは実は、太陽の位置でもあるので、季節とのずれを補正するために、(太陽の位置をよく反映する)二十四節気を利用するというわけです。
(なので、太陰太陽暦と呼ばれます)

そういうわけなので、二十四節気の日付は、現在の暦では毎年ほぼ同じ日付になります。
たとえば、今回話題にする「雨水」は、
2010年〜2012年 : 2/19
2013年 : 2/18
ということになります。

日付がほぼ同じ訳ですから、現在の暦でいう「3月3日」に対して、毎年ほぼ2週間前ということになります。
ですから、現在の暦では、かなり妥当性のある基準だと言えます。

一方で、これが旧暦の時代からというほど古いものであるかといえば、旧暦の日付は(現在の暦に対しては)一定しないという事実があります。
たとえば、旧暦の3月3日は、現在の暦では、
2010年 04/16
2011年 04/05
2012年 03/24
2013年 04/12
となります。
2010年などは、(現在の暦で)4/16の当日に備えて、2/19には飾り付けをするということになってしまいます。

さらにいえば、雨水に雛人形を飾るというのと併せて、啓蟄に雛人形をしまうという話もあります。
こちらは、明らかに現在の暦の産物だと言えます。
というのも、啓蟄はこれまた、現在の暦では、日付がほぼ一定しており、3/5頃です。
これまた、3/3 に節句を済ませた雛人形を(それも早めに)しまうというのには、いい目安です。

しかしです、上述の通り、旧暦の3月3日は、一番早くても(現在の暦では)3月の下旬です。
そう、啓蟄より「後」のことなのです。
もちろん、「旧暦の啓蟄は旧暦の3月3日より後」ということはありません。
啓蟄自体、「2月節」とされ、啓蟄の日は旧暦では2月にあるのですから。

2011年02月06日

Windows VISTA の EverNote で FreeMind を使う。

EverNote の Puremium アカウントであれば、添付するファイルの種類に制限はなくなる。
そしてまた、添付されたファイルは直接編集できる。
そうなると、考え方やアイディアをまとめるために、FreeMind のファイルを添付したくなる。

が、しかし、EverNote に貼り付けた FreeMind は直接編集できない。
というわけ、これを回避する方法が見つかった。

この原意は、そもそも、FreeMind.exe を実行すると、java が立ち上がり、freemind.jar を呼び出すという流れになっているのだけれど、freemind.jar が動き始めるときには、freemind.exe は終了している。
しかも、EverNote からみみれば、.mm というファイルを生成して、freemind.exe にわたすのだけれど、freemind の実体が動き出す前に、Freemind.exe は終了している。したがって、freemind.jar が起動したときにはすでにファイルが存在していないと、そういうことなのだが。

というわけで、.mm という拡張子に、javaw.exe -Xmx256M -jar "c:\Program Files\FreeMind\lib\freemind.jar" "%1" を割り当てることで、ファイルの生成から終了まで、javaw.exe が動いているようにすれば、OKということになった。

が、さらに、Windows VISTA では、(それ以降も?)この設定が直接にはできないということで、これまた試行錯誤があった。
さて、結論である。

1.c:\windows\system32 に移動して、cmd.exe を見つける(これが、コマンドプロンプトの実体)
2.右クリックして、「管理者として実行」をクリック。
3.コマンドプロンプトから、 assoc .mm=Freemind を実行。
  (.mm という拡張子を Freemind というデータ形式と認識させる)
4.コマンドプロンプトから、 ftype Freemind=javaw.exe -Xmx256M -jar "c:\Program Files\FreeMind\lib\freemind.jar" "%1" を実行
  (Freemind というデータ形式に対する具体的な実行プログラムを設定する、一応、 freemind.jar の場所は確認必要)

以上です。
コマンドプロンプトを管理者として実行することが必要で、たとえ、adominisitrator 権限を持っているユーザーから実行しても、コマンドプロンプトを普通に実行するだけではアウトでした。
posted by 麻野なぎ at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2011年01月11日

EverNote の Premium Account だと何がうれしいのか?


この記事を訂正します。

この記事が最初に書かれた2011年1月の段階では、この記事は正しかったのですが、現在(2013/04/17)時点では、(かなり前から)誤っています。

EverNote のフリーアカウントで添付できるファイルが「画像とPDFのみ」という制限は現在ありません。
したがって、「編集するノート」というのは、フリーアカウントで実現可能です。

この点、訂正させていただきます。

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題して、「記録するノートから編集するノートへ」

冒頭に述べておけば、私自身、「もしかしたら、Microsoft One Note のほうがいいかもしれない」という思いは持ちつつ、EverNote を使っているというのはありまして、ここでも、そういう使い方を意識しています。

さて、話を元に戻せば、EverNote の Premium アカウントにおける優位点は、
・転送量の上限値が増える
・添付できるファイルの種類の制限がない
・ノートのヒストリが表示できる
という3点になっています。

このうち、最初にあげた、「転送量の上限値が増える」という点がもっともよく話題になっており、「一ヶ月の転送量が上限値を超える場合には、Premium アカウント」という認識が一般的なように思う。
ところが、使い方によっては、「添付できるファイルに制限がない」というのが、大きな意味を持ってくる。
実は、EverNote に添付されたファイルは、直接編集可能なのだ。

EverNote の通常アカウントにおける添付ファイルの制限は、よく考えられているような気がする。
画像ファイルとPDFファイル。これは、多くの人にとって「編集することのない」ファイルである。
EverNote が標榜する、「すべてを記憶する」という言葉からすれば、画像ファイルとPDFを取り扱うだけで、記憶(そして記録)が多くの場合可能である。
※もちろん、転送量の制限はあるが。

ところが、「あらゆるファイルが添付可能」かつ、「添付されたファイルが直接編集可能」ということになると、「すべてを記憶する」というノートの役割を超えて、「さらに、変化し続ける」ノートであることができる。
EverNote自身が、ノート内のテキストを変数刷る機能は持っている。
しかし、それに加えて、ノートに添付された Word やら Excel やらのファイルが直接編集可能(ダブルクリックで開いて、普通に、「上書き保存」するだけで、ノートに添付されたファイルは更新される)であることを考えると、

・ノートを作成する。
・とりあえず、メモを書き込んでおく
・なんか、必要らしいファイルを(たとえば、PowerPoint)貼り付けておく
・新たらしい情報を元に、プレゼンテーションの内容を変更する
・検討データとして、Excel を貼り付ける
・そのExcel の説明をテキストで書き込んでおく
・Excel の情報を更新する
・途中で拾った写真をヒントとして貼り付けておく
・Excel のデータをみながら、写真を貼り付けながら、プレゼンテーションを完成させる
・ついでに、入手した発表スケジュールを貼っておく

という流れが、ひとまとまりのノートの中で完結する。
こうなれば、当然、転送量は増大する(添付ファイルを更新するたびに、新たなデータを転送する必要があるから)
故に、Premium アカウントでは、転送量の上限が引き上げられる。

こういう編集をしていると、どうしても、「昨日の資料」に帰りたくなる。
故に、Premium アカウントでは、ノートのヒストリが参照可能である(昨日の資料が再現できる)
※ただ、ヒストリは、必ずしも全部のステップが残っているというわけではなさそう。

ということなのだと思う。
というわけで、すでにできてしまったものを記憶するというだけではなく、ノートを編集しながら、記録すべきものを作り上げてゆくという、そういう用途に使うことが可能になるわけです。

※ただ、少なくとも現時点では、処理をするのに複数のファイルが必要なものは、編集ができないです。
 これは、ダブルクリックの時点(または、Open または、Open with でファイルを開こうとした時点)で、ファイルの実体が生成されるためです。開こうとしたファイルだけしか、ファイルの実体としては存在していないので、複数のファイルを組み合わせて処理するようなアプリケーションだと、指定していないファイルの実体は存在しないからです。
posted by 麻野なぎ at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2010年12月16日

ATOK 2010 誤変換シリーズ

2011年2月6日 追加分です。

樹脂材料調達成功上のため → 樹脂材料調達性向上のため
蒸す迷惑 → 娘曰く
単に施米からじゃなくて、 → 単に狭いからじゃなくて
深い足しました → 付加いたしました
当シャモですが → 当社もですが
電源ラインの出石県 → 電源ラインノイズ試験
ここで対回り込みを許可 → ここでタイマ割り込みを許可
また園は無しか → またその話か
位までもスイッチは使われている → 今でもスイッチは使われている

-------------------------- ここまで ---------------------------------------

年末も近くなりましたが、今年集めた ATOK 2010 の誤変換リストです。
以下のものは、実際に変化された結果ですが、当方の単語登録や普段どんな言葉を多用しているかで、いろいろと違いは出てくるかもしれません。

では。

佐藤△保住
 → 佐藤さん確保済み

恋うて以外での確認
 → 工程外での確認

実機でバッグ
 → 実機デバッグ

テスト洋館数ファイル作成
 → テスト用関数ファイル作成

状態だとか呈する
 → 状態だと仮定する

ブラ施設返事の検証事項確認
 → ブラシ設変時の検証事項確認

本社へ伸ばす
 → 本社へのバス

年末可燃しか、そのあたりに
 → 年末か年始か、そのあたりに

基板と利雪
 → 基板取説

はんこ低抵抗の
 → 半固定抵抗の

同じファイルの中野か区間数
 → 同じファイルの中の各関数

人がいればもう獣
 → 人がいればもうけもの

モータか変モジュール
 → モータ可変モジュール

案外な外貨も
 → 案外長いかも

半生コメント締め切り
 → 反省コメント締め切り

特にして伊那市でよいと思います
 → 特に指定なしでよいと思います

一同かがいましたがお忙しそうだったので
 → 一度伺いましたがお忙しそうだったので

デー大切先
 → データ移設先

どう査定し次官は
 → 動作停止時間は

最後は案がイラクでした
 → 最後は案外楽でした

運用の点から、まず移転があると思います
 → 運用の点から、まずい点があると思います



posted by 麻野なぎ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2010年12月09日

「月の名前」の計算方法

Twitter の Bot 「節気さんシリーズ」で月の名前を求めるという計算をしています。
※月と言っても、天体の月です。「三日月」とか、「十五夜」とかそっちの名前。

これ、実はまじめに計算すると結構大変でして、節気さんシリーズの中でも、一番面倒な計算です。
※ただし、太陽と月の位置を決定するという基礎的な計算の方がはるかに面倒であるのはもちろんです。
※ただ、こちらのほうは、『日の出・日の入りの計算』(長沢工著,地人書館)に収録されているアルゴリズムを元にしたものなので、自分では計算していないという。

そういうわけで、宣伝の意味も込めて(ほとんどそれだけ)紹介してみることにしました。
実際の計算結果(イメージ)も最後につけました。

【ある時刻における「月の名前」を求める】

1.定義
 「月の名前」は、「ある時刻」を含む旧暦の(カレンダーの)月における月の出現回数で決定される。
 ※具体的に採用している名前は後述
 この定義では、実は、「月が出ていない」時の名前が決定されないので、「節気さんシリーズ」では、
 ・旧暦の1日はその日を通して、「朔月」
 ・旧暦の晦日はその日を通して、「晦日月」
 ・その他の日は、「日本における月の入り(実際には、登録している50地域)」が完了して、10分経過後に次の名前に変更する
 というロジックを採用しています。


2.求め方

1)「ある時刻」における「直前の朔の時刻(「ある時刻」以下)」と「直後の朔の時刻(「ある時刻」超過)」を求める
2) 「ある時刻」が、旧暦1に含まれる場合は、「朔月」とする
3)「ある時刻」が、旧暦の朔月(直後の朔の時刻を含む日の前日)なら、「晦日月」とする。

4)それ以外の場合は、計算が必要。
5)旧暦日付が基準になるので、
 「調査開始時刻」=「直前の朔の時刻を含む日の 00:00」
 「調査終了時刻」=「直後の朔の時刻を含む日(は、来月の1日)の前日の 23:59」とする
6)「調査開始時刻」以降の最初の「月の入り」を、50の地域について求める。
  50の地域を比較して、最も遅いものを、「1回目の月の入り」とする。
7) 「1回目の月の入り」以降の最初の「月の入り」を、50の地域について求める。
  これが、「2回目の月の入り」となる。
8) 以降同様にして、「月の入り時刻」が、「調査終了時刻」以降になるまで月の入り時刻を求める。
9) 以上で求めた、「n回目の月の入り時刻」に10分を加算する。これが、「n + 1回目の月の名前の開始」となる。
10) 「n回目の月の名前の開始」が、旧暦 n - 1 日であれば、その時刻を、旧暦 n - 1日の 23:59 にする。

11) 「n回目の月の名前の開始」時刻が、「ある時刻」以上となるような最初の n を求める。
12) n 番目の月の名前を、「月の名前」とする。

3.具体的な月の名前
(括弧内は、出現回数です・8, 12, 22 は名前をつけていません)

朔月(1), 既朔(2), 三日月(3), 夕月(4), 夕月(5), 宵月(6),
弓張月(7), 九夜月(9), 十日夜(10), 十日余の月(11),
十三夜(13), 小望月(14), 十五夜(15), 十六夜(16), 立待月(17),
居待月(18), 臥待月(19), 更待月(20), 二十日余の月(21),
弓張月(23), 有明月(24), 有明月(25), 二十六夜(26), 暁月(27),
暁月(28), 暁月(29), 暁月(30),

計算結果は、こんな感じになります。
月の出が少しずつ遅くなっているので、それにつれて、「月の名前」の変化点も後ろにずれています。

moonList.gif

2010年11月25日

月齢カレンダーの問題

この記事を書いているとき、既に、2010年も年末の兆しが見え、来年のカレンダーの話題がちらほら聞かれている。
その中で、「月齢表示のあるカレンダー」というのが一定の関心を集めているようである。
ただ、この種のカレンダー、表示方法故にいくらか誤解というか、誤ったイメージを与えているのではないかと思う次第である。

手元に、2011年の月齢カレンダーがあれば、1月1日の月齢を見て欲しい。
もしも、26.4 と書かれていれば、そのカレンダーは、「正午月齢」を表示していることになる。
月齢というのは、新月の瞬間から単純に日数をカウントしたものである。ただ、1日単位だけではなく、1日で、ひとつ月齢が進むように小数点付きで表示していることが多い。
そうなると、たとえば、午前0時の月齢が、10.0 だとすると、午前6時は 10.25、正午は 10.5、午後6時が10.75。そして、翌日の午前0時が11.0となる。
このように、「今日の月齢」というのは定義できないことになる。
では、月齢カレンダーに書かれている「今日の月齢」は何かといえば、ある時刻の月齢を以てその日の月齢を代表させているわけで、多くの月齢カレンダーで、正午月齢を代表としているわけである。
このほかにも、たとえば、天文暦だと、20時や、21時の月齢で代表させているケースも多い。

これから言えるのは、月齢カレンダーに正午月齢が表示されてても、「今」の月齢はそれとは異なると言うことである。
たとえば、午後6時であれば、0.25を足せばよいし、午前6時であれば、0.25を引けばよい。

表示されているのが正午月齢だと言うことは、ちょっとおかしなイメージを与えることがある。
たとえば、2011年4月3日の月齢は、「29.3」と表示されていると思う。そして、翌4月4日は、「0.5」と表示されていると思う。
「新月」は、どちらの日付になっているだろうか?(正解は、4月3日)
月齢0.5の4月4日ではなく、月齢29.3の4月3日が新月というのは、奇妙な感じを抱かないだろうか?

実は、このときの朔(新月)の瞬間は、4月3日の23:32と、ほとんど一日の終わりになっている。
この瞬間が月齢0.0であり、確かに、4月3日が新月なのであるが、表示されている月齢が正午月齢であるため、新月から約半日経過した、4月4日の月齢が、0.5と一見新月の日の月齢に見えるわけである。

これと関連するのだが、、月齢カレンダーにはたいてい、「満月」や「新月」・「上弦」「下弦」の日付が入っている。
これも、どうも、「その日の夜に」というイメージが与えられてしまうらしい。
ところが、2011年3月20日には、午前 3:10 と言うところで、「望(満月)」を迎える。
カレンダーには、「3月20日は満月」と記されるわけだが、厳密には、前日の夕方に昇って朝6時頃に沈む月が満月の瞬間を含んでいるわけで、当日の夜に登る月は、既に満月を過ぎているということになる。
このときの満月を楽しみにして、3月20日の夜を待っていると、ちょっと外れるというわけである。

月齢15.0の真実

さて、このブログでは何度か、「月齢と月の形は厳密には一致しない」という旨の記事を書いてきた。
前回も、「満月の時、月齢はいくつ?」 http://asano-nagi.sblo.jp/article/40890434.html と称して、満月の時点における月齢がどの程度ばらつくかを検証したりした。

この記事を書いている近辺では、2010年11月22日の望があり、またぞろ、月齢15.0が満月の瞬間という表現を見つけたので、今度は逆に、月齢が 15.0 になった瞬間における月の様子を検証してみることにした。
例によって、検証範囲は 2000年1月1日から、2020年12月31日までの間である。

そもそも、「満月」という概念に相当するのは、2つのケースがある。
ひとつは、現在の天文学上「望」と呼ぶ瞬間であり、これは、地球から見て太陽と月が正反対になる瞬間である。
今ひとつは、いわゆる、「十五夜」であって、旧暦の15日の夜に昇る月を示している。
後者が、月齢15.0は満月という誤解の元であるのは間違いなかろう。しかし、たとえば、新月の日には(その日のうちに)月齢は0になるが、それはまた、旧暦の1日(カレンダーに0日というのはないから)であることを考えれば、月齢の数字と旧暦の日付は一致しないということが理解いただけると思う。
実際、旧暦の15日に相当する日全体における、月齢は最小で13.0 最大で14.9 であり、旧暦15日の内に月齢が15になることはあり得ないのである。
※ただ、十五夜の月というのは、翌日(旧暦の16日)の日の出頃に沈むので、十五夜の月が沈むまでの最大の月齢は、おおよそ、15.2程度まで進む可能性がある。

以上を踏まえて、検証を行った。
以下で、「満月の瞬間」としているのは、「天文学上の望」の瞬間である。

まず、輝面比を調べてみる。月の形は直接には輝面比として表されるので、どの程度満月の形から離れるかを検証するわけである。
その結果、月齢15.0時点の輝面比は、98.6% 〜 100.0% となった。
意外にも、一番欠けているときでも、1.4%しか欠けないということで、これは、少なくとも肉眼で見る限り「満月」であろう。
冷静に考えれば、満月の頃と新月の頃はいずれも輝面比の変化量が少ない時期に当たっていて、これは、当然の結果ではあった。

では、月齢が15.0の瞬間と満月の瞬間はどの程度離れているだろうか?
それをヒストグラムで表したのが下の図である。
最大では、26時間(つまり、1日以上)前に望になっていることもあれば、その後、16時間後に望になることもあるという結果が得られた。
また、グラフがマイナスのほうに偏っているのは、言い換えれば、月齢15.0になる以前に望になってしまっているケースが多いことを示している。

moonage15.gif

最後に細かなデータを示せば、月齢15.0の瞬間と望の瞬間が最も近い/遠い日は以下のようになっている。
一番近いときでも、8分ほどの差があることがわかる。

満月まで一番近いとき
2007-10-26 14:00 月齢15.0
2007-10-26 13:52 望

満月まで一番遠いとき
2011-07-16 17:54 月齢15.0
2011-07-15 15:39 望

2010年09月23日

満月の時、月齢はいくつ?

さて、これを書いている前日(9/22)は、中秋の名月。そして、今日(9/23)が満月。
さらには、今日の月齢(正午月齢)が、14.7で、ついでに、満月なのに十六夜。

このあたりの情報が混乱している様子が見られた。
また、「満月というのは、月齢15の月のこと」という認識も割合に広まっているようで、さらに混乱に拍車をかけているようである。

このあたりは、以前、「月齢と月の呼び名」( http://asano-nagi.sblo.jp/article/39959609.html )や、「月に関するいくつかの指標 ―― 月齢・月相 そして、月の異名」( http://asano-nagi.sblo.jp/article/38671358.html )で書いてきたとおり、月齢と月の形は、きちんとした傾向があるけれど必ずしも、月齢いくつが満月と合わないということになる。

では、実際、満月の瞬間の月齢はどの程度ばらつくのだろうか。
これを、2000年から2020年の範囲でヒストグラムにしてみた。

ageList.gif

事前の予想では、ばらつくとは言っても、ある月齢を中心とした山なりグラフが書けるだろうというところであったが実際には、中央がへこんだ凹型のグラフになった。
ちなみに、上述の範囲では、満月の瞬間の月齢は、2011/07/15 15:38 の 月齢13.9 が最小。2010/12/21 17:13 の 月齢15.6 が最大のようである。

では、なぜ、月齢の分布が山なりグラフにならなかったのだろうか?
それを確認するために作ってみたのが、次のグラフである。

これは、横軸に満月になった時刻。縦軸にその時の月齢をプロットしたものである。
21年分のデータを同じ日付でそろえ、21本の線で傾向を表している。

ageList2.gif

これは、横軸に満月になった時刻。縦軸にその時の月齢をプロットしたものである。
21年分のデータを同じ日付でそろえ、21本の線で傾向を表している。

このグラフから二つのことがわかる。
ひとつは、満月の時の月齢が変化する様子が、なめらかな曲線の上にあるという点。
そして、その曲線の最大部分と最小部分が、季節の影響を受けていると言うことである。
つまり、月齢の最大部分は、冬至頃のほうが大きく、夏至頃は若干小さいと言える。

月齢変化の曲線を見ると、中央部分の変化は比較的大きく、最大部分・最小部分の変化は緩やかである。
この結果、点の密度としては、最大部分や最小部分が大きくなり、これが、前述のヒストグラムで凹型のグラフになった原因である。
また、全体が凹型とは言っても、月齢17.5付近にいくつか点が存在する。
これは、月齢のもっとも大きな部分が冬至周辺の直に限定されることから、全体のグラフが凹型であるにもかかわらず、月齢の最大部分には、少数の点しか存在しないということになるのだろう。


2010年08月29日

「引用禁止」という誤解

今でも、「このコンテンツは著作権法で保護されています」という文言と、「無断引用禁止」という文言とがともに書かれている場面に出会うことがある。
しかしながら、この二つの言葉は(2010年時点の日本国内においては)両立するものではないというのが、この記事の趣旨である。

まず、「引用」という単語。
この言葉を、「部分的な転載」と解して使用していると思われる場面が多い。
実際に辞書を引いてみると、
「他人の説や文章を自分の説や文章の中に使うこと」(学研国語大辞典)
「自分の説のよりどころとして他の文章や事例または古人の語を引くこと」(広辞苑)
「自説を証明したり物事を詳しく説明したりするために、他人の文章・他の説・故事などを引いてくること」(明鏡国語辞典)
と、辞書の記載においても、単純な「部分的な転載」とは解釈されていないことがわかる。
つまりは、「引用」という言葉自体が誤解されて使われているのではないかということである。

さて、さらにいえば、著作権法には、(著作権法としての)引用も定義されている。
そして、著作権の制限のひとつとして、「引用は可能」とされているのである(32条)
著作権法における引用とは、概ね、
・自説の展開、または批判のために必須であり
・引用部分が従であり
・引用元が明示されている
という要件が必要とされている。逆に言えば、この要件を満たす引用を著作権は許しているわけである。

さて、著作権と引用の関係であるが、それを説明するためには著作権法の意図を知らなければならない。
著作権法第1条に、以下のような(目的)が定められている。
「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」

著作権法の目的は、「文化の発展に寄与する」ことであって、必ずしも著作権者の保護ではない。
文化の発展に必要だから、その手段として著作権を保護するとしているのである。
だからこそ、文化の発展を阻害する程度の著作権保護は行わない。故に、「著作権は制限される場合がある」のだ。

冒頭の「引用」は、この「著作権の制限」のひとつである。
言い換えれば、著作権法が「文化の発展に寄与する」という目的のために、「引用は認められるべき」としているのである。
だから、「引用」を禁止するということは、「引用」という言葉を正しく理解していないと表明することになるのか、あるいは、(著作権を保護して欲しいといいつつ)著作権法の理念を無視しているか、いずれにしても、正しい主張ではないということである。
posted by 麻野なぎ at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権の周辺