2014年01月26日

Twitter API に HTTPS でアクセスする(ただし、C++Builder + Indy)

さて、2014年1月15日から、Twitter API のアクセスが、HTTPS 限定となりました。
「節気さんシリーズ」は、ながらく、HTTP であくせすしてていたので、この時、全面的にBotが停止するという事態に陥ったわけであります。

ちかいうちに、そうなりそうだなという話は聞いていたのですが、HTTPS への対応が分からなかったので、「見て見ぬふり」をしていたら、いきなり、痛い目に遭ったという、そういう構図です。

実際に止まってしまったので、あわてて対応方法法を調べます。
基本的なこところは、
http://www.gesource.jp/programming/bcb/45.html
で、判明。
C++Builder についてくる、Indy ライブラリを使えば、SSL で、POST は、容易に実現できそう。
特に、従来、TCPClient でオープンして、レスポンスをパーシングして、

ちょっと安心して、これまで作っていた、OAuth データを、「POSTパラメータ」にぶちこんで、POST するも、失敗。
なぜだろうかと、数日悩んだ結果、答は、
http://d.hatena.ne.jp/mole-studio/20130816/1376676005
にありました。

OAuth ヘッダは、Request.CustomHeaders にセットして、
パラメータのみ、(POST の引数としてわたす)パラメータにセットすれば、OKでした。

この段階で、ツイートには成功しました。
ただ、もうひとつの機能である、「アイコンの差し替え」は対応できていません。

Botの動作は、「OAuth ヘッダを送って、認証した後、アイコンファイルを、マルチ-パートの扱いで直接送信」でしたので、Indey ライブラリを使った、ファイルのアップロードを試すも失敗。
ここで、もう一度、Twitte API の仕様を確認すると、「アイコンファイルは、Base64でエンコードした後、image= につづけて、パラメータとして送信すること」という内容を見つけました。

Base64でエンコードするの処理が追加で必要になるものの、POSTの処理自体は、ツイートと同じなので、楽勝――のはずが、これまた失敗。

悩むこと数日、答がひらめきました。
OAuth ヘッダ(のための、Base String)を作る際に、関連するヘッダは、「アルファベット順に並べる」訳ですが、ツイートの際のパラメータは、status = で、「たまたま」一番最後でした。
この処理を使ったので、アイコン送信の際のパラメータである、image = も「最後」においたわけです。
そもそも、「ヘッダはアルファベット順」でしたが、「ヘッダの後にパラメータ」ということで。
(ちなみに、Twitter サイトの説明もこの順番だった)

でも、image は、「アルファベット順」だと、最初だったのですね。
順番を入れ替えて、Base String をつくり、OAuth ヘッダを作ることで、無事に処理が成功しました。

1週間半。長い戦いでした。

posted by 麻野なぎ at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | Twitter と Bot の周辺

2013年06月19日

ATOK の辞書引き、そして感太

ATOKは、様々な「専用」電子辞書を用意している。これらの辞書は、ATOKがなければ、使えないし、文字入力中でなければ、検索もできない。
本来、ATOKの変換動作を経由した、入力時に気楽に(意味などを)調べられるという用途で提供されているもので、その意図からすれば、それは納得のいくものではある。

ところで、一太郎には、「ソプラウインドウ」という機能がある。本来、これも一太郎の文書にある語句なり文なりを、外部とやりとりするためのアプリケーションらしい。
このアプリケーションに、「辞書引き」という機能があり、これを経由して、ATOK辞書を引くことができる。
(ただし、ATOKは必要です)

ソプラ.jpg
※ WikiPedia も検索可能です。


私はこれを、「一太郎2013玄」の体験版を通じて知ったわけであるが、昨日、「体験版」は使用期限を迎え、現在使用不能の状態である。
ところが、ソプラウインドウは、単独で使用可能な状態にある。
一太郎(体験版)をアンインストールした状態で、ソプラウインドウを使用するのは、一筋縄ではいかないようだ。
というわけで、(既に使えなくなった)一太郎を丸ごと残しながら、ATOKの辞書引きができるという状態になっている。
これはこれでおもしろいと思う。
(というか、ATOKに付属させてほしいアプリケーションではある)

ソプラウインドウの場所
C:\Program Files (x86)\JustSystems\SOPLA\JSSOPLA.EXE (64bit)
C:\Program Files\JustSystems\SOPLA\JSSOPLA.EXE (32bit)

ついでに、「感太」である。
「感太」の評判はどうも芳しくはないようだ。
しかし、私はかなり気に入っている。
※感太単体で、1,000円前後だったら、間違いなく買っている。

写真付きで「言葉」が並ぶ様子は、辞書を拾い読みするのに似た楽しみがある。
そして、これも、一太郎体験版が使えなくなった後も、単独で動くようだ。
(ただし、もともとが体験版なので、写真は解像度が低めの、JustSystem のすかし入りではあある)

感太の場所
C:\Program Files (x86)\Common Files\Justsystem\Kanta\JSKANTA.EXE (64bit)
C:\Program Files\Common Files\Justsystem\Kanta\JSKANTA.EXE (32bit)

ただ、単独で動かした、「感太」には大きな制約がある。
ソプラウインドウとの連携ができないのである。
具体的には、「感太」の「辞書引き」機能は使用できない。
(もちろん、ソプラウインドウに、自分で言葉を入力すれば、辞書引き可能)

「一太郎2013玄」自体は、かなり良いと思った。
特に、文章を練りながら作っていくには、雰囲気が良い気がする。
が、私が使用しているメインマシン(ATOM 1.6G だったりする)では、動作が重すぎた。
なので、今回購入は断念した次第である。
posted by 麻野なぎ at 12:07| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

2013年05月07日

ロジクールのキーボード K810 を使う

さて、少し前にロジクールのキーボード K810を購入したわけです。
私としては、お気に入りな訳ですが、実際に使っている方のコメントでは、少し異なる意見も見られるようです。
そこで、2点ほど、特徴的な部分を書いてみようと思います。

【キーの感触について】

もともと、「薄型」の「パンタグラフ」タイプのキーボードなわけで、キーの感触については、賛否両論といった感じがします。
実際、例えば、「感触」では、絶賛されている東プレのREALFORCEシリーズ
http://www.topre.co.jp/products/comp/
と比較すると、これは、「考え方が違う」という程度に、方向性から異なります。

従って、上記のキーボードに慣れた方がK810を使うと、少なくとも違和感を持つと思います。

東プレのキーボードは、「軽い感触」で「ロングストローク(3.8mm)」のキーボードで、高速でしかも、ラフにタイプしても、指にストレスがかからないというタイプです。
また、キーの全ストロークでキーを押す力の変化が少なく、いわば「空気を押している」ような感触のキーボードです。

一方で、K810は、これに比べると「重く」「押す力の変化が大きく(いわゆる、明確なクリック感)」「ショートストローク(2mm)」のキーボードです。

このタイプのキーボードが出現した頃は、省スペースのために仕方なく作られたものというイメージが確かにありました。
が、一方で、明確なクリック感とショートストロークは、「指を動かす距離が少ない」ということを意味していて、これまた、高速タイピングが可能です。
(が、こちらのタイプは、クリックを感じると同時に(底突きすることなく)キーを離すという、ある意味、丁寧なタイピングが必要です)

私などは、指を動かす距離が長いキーボードに疲労を感じ始めたので、このショートストロークタイプのキーボードがお気に入りというわけです。

【K810にはチルドスタンドがない】

実は、ロジクールは、「チルトスタンドを省略した」のではなく、「敢えてつけなかった」ようなのです。
http://www.logicool.co.jp/ja-jp/products/keyboards/articles/5923
では、Zero Degree Tilt と称して、「フラットなキーボードが good 」と主張しています。

以前は、必ずチルトスタンドを立ててキーボードを使っていたのですが、これも、かなり短期間に慣れました。
で、しばらく使っているうちに、おもしろいことに気づいたのでした。

わたしはタッチタイプができます。
そして、タッチタイプの「基本」は、「ホームポジション」(asdf と jkl:)に4本の指を置いて、目的のキーを打つ指だけが、ホームポジションから離れるということになっています。
が、どうやら、現在では私の指は、2列目と3列目(qwer の列と asdf の列)の間にあって、(キーを打つ指だけではなく)一斉にキーボードの上を動いていることがわかりました。

この動きは、確かに、「薄型」かつ「平坦」なキーボードでなければできない動きです。
また、この特徴を持つキーボードだと、確かに、チルトがない状態で快適にタイピングできることに気づいたわけです。

以上、2点ほど気づくところを書いてみました。
posted by 麻野なぎ at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 周辺機器のあれこれ

「月の森のカミ」と「あかぎれ多弥太」

上橋菜穂子の『月の森に、カミよ眠れ』を読んだ。
 解説で、武田静澄氏の『日本伝説集』にある「あかぎれ多弥太」伝説に触れられており、これが、物語の発端となっているらしき記載がある。
 ところが、「あかぎれ多弥太」自体には、たどり着けないようだ。

 まず、武田静澄著『日本伝説集』(現代教養文庫 昭和51年 初版第17刷)より、引用する。

---------------- 引用開始

あかぎれ多弥太

 祖母山という山は、日向、豊後、肥後の三国にまたがる高山であるが、そのふもとの塩田というところに、塩田の太夫という長者が住んでいた。長者には、花のみもとという涼しいひとみをもった美しい娘がいた。花のみもとは、やがて年頃になった。が、ふるような縁談にも耳をかさず、秘蔵の玉といつくしんだ。
 いつの頃からか知れないが、明るい月夜になると、横笛のさえた音が高い。空に反響した。だれの手すさびかと、そっとうかがってみると、昼のように明るい白い道を、身分ありげなひとりの若ものが歩いていた。いいようもない優れた笛のぬしは、その若ものだった。なおもあとをつけてゆくと、若ものは長者のいかめしい塀をこえて、庭の奥へしのびこんでいった。
 村人のうわさ話は、じきに両親の耳にはいった。母親はみもとをよんだ。「お前は、親の知らない男としたしくしているというではないか。その若ものというのは、いったいどこの人です」
 いくら問いただされても、若ものの氏素性を知らないみもとは、答えることはできなかった。母親はみもとにいいつけて、そっと若ものの着物の襟に、糸のついた針をつきささせた。
 若ものはそれともしらずに、明けがたが近づくと、どこへともなく帰っていった。翌朝、塩田の長者は力じまんの村人を大ぜいつれて、糸をたどって追っていった。その糸は野をこえ、山をこえ、どこまでもつづいていた。ついに一同は、日向と豊後と肥後の境にある祖母山のふもとまでたどりついた。糸のさきは、とある岩穴の中へ入って消えていた。ふしぎなこともあるものだ――人々が岩穴の前に立ちどまって思いまどっていると、穴の中からはぶきみなうめき声が聞こえてきた。さすがの屈強な男たちも、あまりの恐ろしさに、顔を見あわせるばかりで、だれひとり進んで穴に入ろうとするものはいなかった。
 そのとき、一行のあとからついてきた花のみもとが進みでた。
「苦しそうにしていらっしゃるのは、どなたでしょうか」
「そういう声はみもとか。‘昨夜、わたしはのどに針をたてられた。このままではやがて死ぬほかはないが、その前に、ひとめなりとそなたの顔をみたいものだ」
「わたくしもお会いしとうございます。たとえ、どのようなお姿であろうと、恐ろしいとは思いません。どうぞお姿をみせてください」
 岩穴の中からは、一そう苦しいうめき声がひびいてきた。と、はげしい地ひびきがして、暗い奥の方からあらわれたのは大蛇だった。
 みもとが大蛇の咽の針をぬいてやると、大蛇はみもとに向かって、
「わたしは祖母山のぬしだ。そちはやがてわたしの子を生むが、その子は、成人ののち九州随一の勇士になるはずじゃ」
 といって、まもなく息絶えた’
 みもとは大蛇が予言したとおり、月みちて男の子を生み落とした。子どもは成長するにしたがい、体格も大きく、力も強い少年になった。ふしぎなことに、この少年は夏でもあかぎれがあったので、人々はあかぎれの童子とよんだ。
成人すると、あかぎれ多弥太と名のった。そして祖母山のぬしのお告げのような勇士になった。多弥太五代目の孫に、尾形三郎という源氏の勇士がいたが、三郎のからだにはうろこがあったということである。

 (宮崎県西臼杵郡 祖母山)

---------------- 引用終わり

内容は、『月の森――』の、ホウズキノヒメを彷彿とさせる物語である。
また、伝説の多弥太を、タヤタとして登場させたものと思われる。

ただ、夏でもあかぎれがあったという、あかぎれ多弥太が、勇士となり、その子孫が、尾形三郎という著名な人物にまでつながったというのは、タヤタとはいささか趣が異なる。
さて、「尾形三郎(あるいは、緒方三郎)」という名前までたどり着くと、これはまた、種々の物語に到達できる。

http://www.miyagin.co.jp/pleasure/0103.html
http://www.d-b.ne.jp/siga/panora/ogata/ogatagawa.html

など。

いずれしても、尾形(緒方)三郎も、平家物語にもうたわれながら、義経と共に都落ちをはかりながら、捕まって流罪になるなど、なぜかうら悲しいさだめを感じさせるものと思う。

それでも、尾形三郎にいたる、多弥太の系図を考えるとき、これは、明らかにタヤタとは異なる物語につながっている。
多弥太の子孫は、人の中に残ったのだし、そうでなくても、都で魔物を退治したナガタチの立場だろう。
この意味で、あかぎれ多弥太の伝説が、『月の森――』のベースであるとか、モチーフになったというのは、適切ではない気がする。もちろん、重要な「きっかけ」であったとしても。

さらに、きどのりこ氏の解説で、「祖母山に伝わるほんの数行の伝説から」と書かれている。
出典も示されているわけだし、「ほんの数行の伝説」と言い切るのも、それは、適切ではない気がする。

さて、本編に戻ろう。
この物語は、「稲を作ろうとすると、〈かなめの沼〉意外に場所がなかった」という意識が下敷きになっている。
しかし、もうひとつの大きな要素は、キシメの畏れであった。
終盤でキシメ自身がこのことに気づいている。そして、「いちども、〈かなめの沼〉にふれずにムラが生きのびる道を、タヤタと語りあおうともおもいつかなかったのだ」とその心情を吐露している。

タヤタと(なりゆきではあったが)ナガタチという並外れた力士がそろっているのだ。本当に、〈かなめの沼〉いがいに稲作をする道はなかったのだろうか?

これは、ホウズキノヒメが「〈かなめの沼〉には手を触れてはならない」としながらも、(この秋という限定ではあっても)月の森に立ち入ることを許したのと――その、「カミ」との結びつきの強さの差なのだと思う。

もちろん、キシメがカミへの畏れを克服できなかったのは、若すぎるカミンマ故だったのか、律令に覆われ始めた時代世故なのか、それは、考えるべき点だとは思う。

最期に。
日本史の知識として、公地公民や口分田、班田収受は知っていた。
しかし、本書にこういう一節がある。
「郡司さまなど大きなクニの長たちは、朝廷に従うたとはいえ、おのれのクニはおのれのものだと思われていた……」
そう、それは、確かに、自らの持っていた土地を朝廷にさしだした(奪われた)ということだったのだ。
かつて、大化の改新―大宝律令―班田収受の法 という歴史の流れを学んだとき、幸福な国へのステップを踏んだように思った。しかし、その印象を、「おれたちのクニ」が「おれたちのもの」ではなくなった時なのだと思うと、別の感慨が浮かぶのである。
posted by 麻野なぎ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感

2013年03月01日

平均寿命を考える

2012年2月28日に、厚生労働省から平均寿命のデータが発表された。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk10/dl/02.pdf

これを受けて、早速3月1日のニュースで、「長野県が最も長寿」というニュアンスの報道がされていた。
また、「長寿といえば沖縄」というイメージがある(ない?)にもかかわらず、沖縄の男性の平均寿命は全国平均をわずかに下回るという事実もある。(女性は3位)

今回は、これを考えてみたい。
さて、まず、「寿命」という言葉に対して、多くの場合、(いわゆる)天命をイメージすることが多い。
しかし、統計上の「寿命」というのは、あくまでも、亡くなったときの年齢であり、幼い時に事故で、あるいは病気で亡くなった場合も、「寿命」であることはいうまでもない。

さらに、「平均寿命」という言葉からうけるイメージがある。
例えば、平均寿命が80歳と聞けば、「今生きている人が、平均して、80歳まで生きるということなのかな」というイメージを抱きやすい。が、これも、実は、平均寿命の定義からは外れている。

平均寿命の元になるのは、「今(たとえば、60歳)の人が平均してあと何年生存しているか」という、「平均余命」である。
もちろん、平均余命はそれぞれの年齢毎にあり、平均寿命とは、「0歳の人の平均余命」として定義される。

ということは、既に、60歳になった人が、どのくらい生きられるかというのは、「平均寿命」の数字とは直接関係しない。
一方で、平均寿命には、乳児期の病気・事故、あるいは、若いときの事故による死亡も盛り込まれている。
統計的にいって、1歳で病死してしまったという場合、平均寿命を引き下げることになってしまう。

具体的な例に入ろう。

上述のページには、「主な年代の平均余命」というものもある。
この男性のデータをピックアップすると、

沖縄 0歳:79.40 20歳:59.94 40歳:40.77 65歳:19.50 75歳:12.35
長野 0歳:80.88 20歳:61.31 40歳:42.13 65歳:19.71 75歳:12.05

ということで、長野県は、確かに75歳を除く年代で、平均余命がトップということになっている。
沖縄県は、65歳で、長野県につぐ全国2位、75歳では逆転して、全国トップという結果だ。

これは、やはり、沖縄県男性では65歳に達するまでの死亡率が比較的高いという事実を反映しているのだろう
(といっても、沖縄県男性の平均余命は全国平均を下回っているわけではない)

逆に、既に75歳になっている人という見方をすれば、沖縄県の方が、余命は長いと言えるわけである。
だから、普通にイメージしやすい「年を取ってからの天命」というものを考えれば、「沖縄県は長寿」というイメージにもつながわるわけである。

ひきつづき、女性のデータを見よう。

沖縄 0歳:87.02 20歳:67.49 40歳:47.98 65歳:24.89 75歳:16.46
長野 0歳:87.18 20歳:67.42 40歳:47.82 65歳:24.36 75歳:15.63

0歳の人の平均余命、つまり、平均寿命は、確かに長野県が沖縄県を上回っている。
しかし、他の年代では、沖縄県の方が上回っており、75歳の人の平均余命においては、長野県は、全国11位になっている。
先に述べたとおり、既に成人に達した女性は、沖縄県の方が余命は長いという結果になっているのである。

男女とも長野県が平均寿命トップというのは、データとして間違っていない。
しかしながら、75歳における平均余命が、全国で11位であるというのは、少し違ったイメージになるのではなかろうか。
posted by 麻野なぎ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感・ことば

2013年02月17日

ロジクール・キーボード K810の電池寿命の件、および、PageUP とか

ロジクールから、コンパクトなBluetoothキーボード、K810が発売されました。

http://www.logicool.co.jp/ja-jp/product/bluetooth-illuminated-keyboard-k810

私にとっては、テンキーなし・標準キーピッチ・Bluetooth ということで、その値段にはかなり躊躇しましたが、結局買ってしまいました。
このブログも、K810で書いていますが、19mmピッチのキーボードは、一年以上使ったことがないので、ちょっと戸惑うところはあります。
が、その前に使っていた、ONKYO の PKB2A-A25SL3 が、17.5mmピッチで、ときどき、運指がパニックになり始めたことを考えると、すぐになれるとは思います。

さて、K810ですが、メーカーの仕様によると、「電池寿命 1日2時間の使用10日」となっています。
これは、さすがに、「使えない」のではないかという気がしますが、さにあらず。

実は、「技術仕様」
http://logicool-jp-jpn.custhelp.com/app/answers/detail/a_id/36451/~/logicool-bluetooth-%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89-k810-%E6%8A%80%E8%A1%93%E4%BB%95%E6%A7%98
のページには明記されているのですが、「バックライトOFF時には、12ヶ月」です。

しかも、「周辺が明るい場所」では、バックライトは自動的にOFFになります。

というわけで、実際には、12ヶ月(までなくても、かなり長期間)は持つと思います。
実際、買った状態・充電せず+昨日4時間ほど使用で、で、ロジクールのコントロールソフトによると、2/3は残っているようです。

なぜ、製品情報のページで、「10日間」だけ表示しているのかは不明です。(それ見て、「却下」する人も多いと思う)

あと、キーボードの写真を見ると、「PageUp」「PageDown」「Home」「End」がありません。
私はこれを多用するので、これないと困るのですが、実は、FN キーとカーソルキーを併用することで、この機能は実現できます。
(それぞれ、FN + ← = Home, → = End, ↑ = PageUp, ↓ = PageDown)

実は、前述の PKB2A-A25SL3 は、本当に、この機能がありませんでした。
で、数人に愚痴ったところ、「そんな機能は使ったことがない」という意見が多数ではありましたが。

あと、もうひとつ。
ロジクールは、「端押しでも確実に反応する」PerfectStroke という機能を強調しています。
http://www.logicool.co.jp/ja-jp/products/keyboards/articles/5912
私は、ctrl キーをよく使いますが、これが、端にある関係で、端押しが多発します。
それを、ちゃんと認識するのはさすがと言うところです。
(ただ、これは、K810が優秀と言うより、前述の PKB2A-A25SL3 がかなりお粗末だったというのが、正しいかもしれません)

まあ、こんなところで、自分自身にはなかなかフィットしたキーボードだと思う次第であります。
ちなみにマウスは、同じく、ロジクールのBluetoothマウスの、M555bです。
http://www.logicool.co.jp/ja-jp/product/5747

これも、ロジクールの(おそらく唯一の)Bluetoothマウスということで買ったのですが、使ってみると、「高速スクロール」は、実に、「他のマウスには戻れない」くらい快適ではあります。
また、中央ボタンが、(ホイールの押し下げではなく)独立したキーというのも使いやすい気がします。
いや、中央ボタンを押すつもりが、ホイールが回ってしまうと言うことがなくなるので。
(中央ボタンの押し下げは、高速スクロールと通常スクロールの切替)

あと、比較的「背の低い」フォルムもお気に入りです。
先日、別のマウスを数時間使う機会があったのですが、(個人的に)手が疲れました。
なんと、そのマウスは「背が高い」ので、つかむのが大変だったという。
posted by 麻野なぎ at 11:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 周辺機器のあれこれ

2012年09月18日

キーボードの入れ替えに悩む。(AutoHotKey のこと)

先日、ONKYO の、Bluetooth キーボード PKB2A-A25SL3 を衝動買いしてしまった。
アウトレットで安く売りに出されていたというのもあるが、Bluetooth の、普通のサイズでなおかつ、テンキーのないモデルを長らく探していたところ、デザインに惹かれてのことである。
ただ、「残り一台」の売り文句にあおられて、細かいところをチェックせずに買ってしまったというのが、後に、少々問題となる。
それでも、最低限のチェック、日本語キーボードであり、エンターキーが逆Lであり、キーピッチは16mmよりは広い(実際には、17.5mm)というところはチェックした。

実は、気になるところはあった。PageUp, PageDown, Home, End というキーが、「ないかもしれない」というところだ。
大きな写真を探し出すことができなかったが、確かに、「ない」
ただ、この時点では、まさか、ないということはなかろうと思っていた。Fn キーは存在しているから、Fnキー+カーソルキーに(刻印はないけれど)割り当てられているのだろうと、勝手に決めつけた。

さて、実物が届いて、おそるおそる、Fn と カーソルキーを押してみると、「それは存在しない」という事実が。
実に、PageUp, PageDown, Home, End というキーが、「ない」ことが判明した。

家族に聞いてみると、そもそも、そういうキーの存在を知らなかったようだ。なるほど、一般的には認知されていないキーなのだ。
が、私にとっては、必須なキーである。
テキストを編集していて、行頭、行末への移動は多いし、さらに、「行末まで範囲選択」も多い。
何より、ATOKの電子辞書へのアクセスは、End キーを使っている(ついでに、連想変換のキーは、Home)

PKB2A-A25SL3は、そのまま、携帯電話(スマートフォンにあらず)の入力用にしてしまうという選択肢もあるが、「また無駄遣いをして」という家族の視線が熱い。
結局、ALT + カーソルキーに、それらのキーを割り当てることにした。
割り当てることにしたというだけでは問題は解決しない。

まずは、自作の「キーカウントプログラム」のキーフック部分をいじって、キーの差し替えをしようとしたが失敗した。
いくつかの、「キー入れ替えソフト」を検討したが、単一のキーを入れ替えることしかできない。
なんか、「できそう」な、「猫まねき」が動く環境でもなさそうだ。

というところまで来たときに、AutoHotKey に出会った。

http://www.autohotkey.com

これは、「いけそう」だ。
やりたいこと自体は単純だ。ALT + UP, DOWN, LEFT, RIGHT を、それぞれ、PageUp, PageDown, Home, End に差し替えるだけ。
が、基本的な「リマッポング」機能を使っても、いうことを聞いてくれない。
Help を読むうちに、Send コマンドを使えば、キーストロークを置き換えられることがわかった。
まずは、

!Left::Send {Home}
!Right::Send {End}
!Up::Send {PgUp}
!Down::Send {PgDn}

と、4行追加することで、キーの置き換えは完了。
しかし、「行末まで範囲選択」という、本来なら、Shift + End などで実現するはずのストロークが、実現できない。
Shift + Alt + Right でも、単に、行末にカーソルが移動するだけだ。

が、おおよそ見当はついた。
+!Right::Send {Shift}{End}
でいけるのじゃないか?

が、失敗。Shift を送出しているだろうと思うけれど、あくまでも、Shiftキーのストローク(ON して、OFF)を送出してしまう気がする。
それでも、あきらめずにドキュメントを眺めると、{Shift Down} があるではないか。
+!Right::Send {Shift Down}{End}{Shift Up}
で、Shift を押下したまま、End を送出(して、Shift をリリース)が実現できた。

結局、先の4行に加えて、

+!Left::Send {Shift Down}{Home}{Shift Up}
+!Right::Send {Shift Down}{End}{Shift Up}
+!Up::Send {Shift Down}{PgUp}{Shift Up}
+!Down::Send {Shift Down}{PgDn}{Shift Up}

を追加することで、なんとか、PKB2A-A25SL3 をメインマシン用に使い続けることができそうだ。

※あとは、(充電式なので)バッテリーの持ちが心配だが。

posted by 麻野なぎ at 20:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑感

2012年05月05日

なぜ、歩行者のいる横断歩道で自動車は停止しないのだろうか?

季候がよくなってきましたが、外を歩いていると、相変わらず、横断歩道を渡ろうとしたときにその手前で停止してくれる自動車が皆無であることに気づきます。
これは、「運転者の皆さん、マナーを守りましょう」というお話ではなくて、「運転するなら、道交法くらい守れよ」というレベルのお話です。

道路交通法では、

・横断歩道の手前では徐行しなければならない
・横断「しようとしている」歩行者がいれば、一時停止し、「歩行者の通行を妨げて離らない」
・周辺に歩行者がいないときは、そのまま通行可能
・違反すると、三ヶ月以下の懲役または、5万円以下の罰金

と規定されています。
というわけで、歩行者が横断歩道を渡ろうとしたときに、一時停止しない車は、「法律違反」です。

そもそも、歩行者に対して、「左右を確認して、車がいないことを確認して渡りましょう」という指導がなされますが、これは、歩行者サイドの自己防衛としては、適切な話です。
が、それ、あくまでも、「自己防衛」ですから、道交法も知らない自動車が存在することに対する。

ついでにいえば、車道から駐車場などに入る場合に、「歩道」を横切る場合には、その前で一時停止が必要です。
これも、止まってもらえないケースが多いように感じます(でも、横断歩道よりは、まだ、止まってくれる車は多いような)


最後に、道路交通法より引用(たとえば、 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S35/S35HO105.html

第三十八条  車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。
この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。

第十七条  車両は、歩道又は路側帯(以下この条において「歩道等」という。)と車道の区別のある道路においては、車道を通行しなければならない。
ただし、道路外の施設又は場所に出入するためやむを得ない場合において歩道等を横断するとき、又は第四十七条第三項若しくは第四十八条の規定により歩道等で停車し、若しくは駐車するため必要な限度において歩道等を通行するときは、この限りでない。

2  前項ただし書の場合において、車両は、歩道等に入る直前で一時停止し、かつ、歩行者の通行を妨げないようにしなければならない。

ついでに、罰則規定

第百十九条  次の各号のいずれかに該当する者は、三月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。

具体的な内容の中に

第十七条(通行区分)第一項から第四項まで若しくは第六項……。

第三十条(追越しを禁止する場所)、第三十三条(踏切の通過)第一項若しくは第二項、第三十八条(横断歩道等における歩行者等の優先)、第四十二条(徐行すべき場所)又は第四十三条(指定場所における一時停止)の規定の違反となるような行為をした者
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2011年06月29日

「牛乳はモー毒」なのか? 出典を巡って

最近、ふとしたきっかけで、「牛乳はモー毒」と主張するサイトをいくつか見た。
その多くに、共通した論調が見られた。

・厚生労働省も牛乳の過剰摂取と心の偏りの密接な関係に
 気がついたのか2002年(平成14年)度からは公立保育
 園の牛乳給食料を2001年(平成13年)度まで1日平均
 200mlから80mlに減量しました。なぜ減量したかは一切
 不問にしています。

・2000年(平成12年)5月厚生労働省は「健康日本21」と
 いう成人向けガイドラインを作成しました。成人向けの
 牛乳接種量を乳製品も含めて1日130mlと明記しています

の2点である。

しかも、共通して同じ論調が見える割には、誰一人出典を明らかにしていないというのもまた興味深い点である。

後者については、「健康日本21」というキーワードもあり、比較的探しやすいものだった。
具体的には、まとめを、
http://www1.mhlw.go.jp/topics/kenko21_11/pdf/b1.pdf
で見ることができる。
問題の箇所は、

> 目標値:牛乳・乳製品130g、豆類100g、緑黄色野菜120g以上
> 基準値:牛乳・乳製品107g、豆類76g、緑黄色野菜98g(平成9年国民栄養調査)

と書かれ、平成9年調査では牛乳・乳製品が107gしかないので、130g以上を目標に
しましょう……と明確な意図が感じられる。

これを、「牛乳は有害である」という文脈で、「牛乳接種量を乳製品も含めて1日130mlと明記しています」と記述するのは歪曲というものであろう。

さらには、

http://www.atela.zzw.jp/easyfree2/

では、

> 実は2002年から厚生労働省も牛乳と心の偏りの密接な関係に気づいたのか、
> 公立保育園の牛乳給食の量を1年前の200mlから80mlへ大幅に減少させ
> ました。また成人でも乳製品の量は130mlまでと定められました。

と、「130ml まで」と明らかな誤りが見られる。

http://blogs.yahoo.co.jp/barnabaseriko/27941456.html

には、(ただし本文ではなく、コメントのほう)
> 労省は牛乳の1日の摂取量を2000年に成人で乳製品を含め、130ml
> と大幅に減らしています。減らした理由も不問にして(牛乳はモー毒より)。

という記述も。
保育園給食の話との混同と思われるが、出典をあたれば、「増やそうとしている」
のはわかったものと思う。

また、

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/yooln/shokuidogen-2.htm

に至っては、

> 一昨年5月、厚生省は「健康日本21」の中で「成人の場合、牛乳、乳製品を含めて、
> 130ml以上摂ることを目標とする」と明記しました。ところが現場は厚生省の基準以
> 上牛乳を摂っていて、中学校の生徒は牛乳だけで200mlも摂っています。乳製品全部
> で130mlなのに既に基準を破っています。

という表現もある。これなど、わざわざ出典をあたらなくても、この文章中だけで矛盾している。
130ml *以上* というのが基準なら、200ml は、基準合致なのだが?

一方で、前者の、「公立保育園の牛乳給食料を1日平均200mlから80mlに減量」に関しては、出典を見つけることはできなかった。

以上2つの論点に加えて、「平成15年の、学校給食における食事内容について」という厚生労働省通達を根拠に、「厚生労働省は学校給食に牛乳を出さなくてもいいと言っている」というものもあった。

たとえば、
http://mitomo.jp/img_server/co_img1/mitomo/file/c100.htm


さて、これも出典をあたってみよう。


学校給食における食事内容について
(15文科ス第121号 平成15年5月30日)
http://www.nise.go.jp/blog/2000/05/h150530_01.html

まず、このドキュメント自体が

学校給食における食事内容について(平成20年10月23日)
20文科ス第754号
平成20年10月23日
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/syokuiku/08110511.htm

によって廃止されていることを指摘しておいてもいいだろうと思う。

さて、次はその内容である。
本当に、「……牛乳は不要と書かれた」のかどうか?

まず、平成15年版には、以下のような記述がある。

> 1 学校給食の栄養所要量の基準について
> <中略>
> (3) 今回の栄養所要量の基準の改訂についての基本的な考え方は次のとおりである。
> <中略>
> ビタミンB2は牛乳を飲用することにより確保できるため40%としたこと。

> 2 学校給食における食品構成について
> (2) 牛乳については、児童生徒等のカルシウム摂取に効果的であるため、その飲用に努めること。
>     なお、家庭の食事においてカルシウムの摂取が不足している地域にあっては、積極的に調理
>    用牛乳の使用や乳製品の使用に努めること。

これは、むしろ、牛乳を摂取することを前提とした記述ではなかろうか。
では、新しい文書である平成20年版ではどうか?

> 1 学校給食摂取基準について
> <中略>
> 児童生徒等の嗜好及び学校給食においてカルシウムの供給源としての牛乳が通常毎日提供されている
> こと及び食生活等実態調査結果などを勘案すると、基準値は現行程度が適切と考えられる。よって、
> 食事摂取基準の推奨量(1日)の50パーセントを基準値とした。
> <中略>
> ビタミンB2についても牛乳1本(200ミリリットル)をつけると1日の推奨量の40パーセント程度となる
> ことから、食事摂取基準(1日)の40パーセントとした。
> <中略>
> さらに、独立行政法人日本スポーツ振興センターが実施した「児童生徒の食事状況調査」によれば、
> 学校給食のない日はカルシウム不足が顕著であり、カルシウム摂取に効果的である牛乳等についての
> 使用に配慮すること。なお、家庭の食事においてカルシウムの摂取が不足している地域にあっては、
> 積極的に牛乳、調理用牛乳、乳製品、小魚等についての使用に配慮すること。

これまた、学校給食には牛乳ありきの文章ではないか?

これについては、平成15年のものから、「標準食品構成表」がなくなっている、故に、給食に置けうる牛乳の量は規定がなくなった」ということらしい。
確かに、この主張は正しい。牛乳がなくても給食は成立するのだ。
が、この文章を根拠に「牛乳はいらないと判断された」というのは、正しい判断ではなかろう。
それでも、「いらないと判断された」は、まだ、正しいともいえる。
*この文書を根拠* にした、「牛乳を減らす動きにある」「減らすべきである」という主張は明らかに間違っている。

最後に、ここで取り上げたページには、もう一つ奇妙な主張がある。

> 動脈硬化のリスクを高める飽和脂肪酸が、牛乳1リットル中にバター大さじ4杯分も含まれています。
たとえば、http://www.eiyoukeisan.com/calorie/nut_list/fatty_acid.html によれば、「特濃」でも、2.27% とのことで、
 これを採用すれば、1リットル中おおむね、23g。
 バター大さじ1杯は15gよりは少なくて、少なく見積もると13g。その4杯分は、52g。

これも出典がほしいところではあるが、さらに、しかもその直後に、

> 『健康ビジネスで成功を手にする方法』(ポール・ゼイン・ピルツァー著・私には夢がある・P.150)には
> コップ一杯の牛乳は四九パーセントが脂肪

と書かれている旨主張される。49%が脂肪なら、1リットルのうち、490gは脂肪である。
厳密に言えば、前者は「飽和脂肪酸」後者は「脂肪」なので、脂肪の方が多いこと自体はありうる。ただし、脂肪の総量490gに対して、飽和脂肪酸が大さじ4杯に相当する、52gなら、「飽和脂肪酸のかたまり」というのは無理な主張であろう。

ちなみに、手元にある牛乳パッケージには、「乳脂肪分 3.8%」と記されている。
普通牛乳の場合、飽和脂肪酸は2.33%らしいので、脂肪全体が3.8%というのは妥当であろう。
posted by 麻野なぎ at 21:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑感

2011年04月13日

日本人は「人に迷惑をかけるな」といい、インド人は「自分も迷惑をかけているのだから」という

さて、時々こんな話を見かけることがある。

> 日本の親は、「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは、
> 「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげな
> さい」と教えるそう。

ここでは、本当にこう言われているのかを検証するというのではなくて、こういう場合に陥りがちな、「定義の問題」を挙げる。
一見すると、「迷惑」という同じものに対する、日本とインドの認識の差に見える。(インドでこう言われているというのが正しいとして)
しかし、ここに、「同じ言葉が必ずしも同じ事を意味しない」という落とし穴がある。

「人に迷惑をかけてはいけない」
こう言われた場合、具体的に何を思うだろうか?

・約束を破ってはいけない。
・自分のミスを人に押しつけてはいけない。
・待ち合わせをすっぽかしてはいけない。

私であれば、こんなことを思い浮かべる。

一方で、「私たちは生きているということ自体、他人(もっといえば、地球)に迷惑を変えるということなのだ」という発想は、最近では、そんなに珍しいものではない。
この場合の、「迷惑をかけている」というのはどういうことだろうか?

・他の人の労働 etc. がもとになって、生活が可能なのだ。
・一見、快適な生活をすることが、地球には環境負荷をかけている。
・お互い様

このあたりになると思う。

ようるすに、「他人に迷惑をかけるな」ということと、「生きていく上で、周りに迷惑をかけざるを得ない」ということは、同じ「迷惑」という言葉でありながら、意味しているところが異なる。

これが、定義の問題である。
つまりは、日本人は……、インド人は……と、一見異なる意見が並んでいるようで、(少なくともこれを読んだ日本人の感覚としては)

・本来かけなくていい迷惑はかけるな
・でも、どんな形であれ、生きていく上で誰かに迷惑がかかっているのは忘れるな。

と語っているだけで、矛盾する考え方ではないのである。

実際、この言葉を受けて、「インドの考え方の方が安らぐ」というコメントも見かけるが、「迷惑をかけるな」という、迷惑を具体的に考えた上でも、そう判断できるのだろうか。
あるいは、そもそも、無理強いをする口実として、「迷惑をかけるな」といわれるのを、「日本人の意識の問題」にすり替えているのではないか、ふと、そう思った次第である。

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さて、考えるべきはそれだけだろうか?

実は、日本人は、「人に迷惑をかけるな」という。こちらのほうは、その後が省略されている。
私たちは、「人に迷惑をかけるな。人の迷惑も許すな」と、本当に教わってきただろうか?
少なくとも私は、「人に迷惑をかけるな。でも、他人の迷惑は気にするな」と教わってきた。

出だしの部分で、一見して立場が異なる二つの文章を並べ、一方は後半の部分を隠す。
こうすることで、後半の部分も異なる意見なのだという先入観が忍び込むことになる。
posted by 麻野なぎ at 12:46| Comment(17) | TrackBack(0) | 雑感・ことば